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[小説]ノックして④

ノックして①

ノックして②

ノックして③

 ***

 いつものように生物科準備室のノックをすると、窓を開けた氷央先輩は驚いたような表情を浮かべていた。その瞳は「なんで来たの?」と今にも問いかけそうだった。

 氷央先輩の反応は当然だ。昨日、私は氷央先輩から「やめて」と拒絶をされたのだ。なのに、いつも通りに生物科準備室に来る私は、氷央先輩にとったら不可思議な存在そのものだ。

 けれど、それでも私は動くことをやめられない。

「氷央先輩、中水先生から聞きましたよ」

 窓際に立つ氷央先輩は、大きく目を開かせた。勝手に人の過去を聞いた私に、それでも叱責するような言葉は言わない。

「氷央先輩は悪いことしてないですよ」

 そんな氷央先輩の優しさに甘えるように、私は自分の主張を伝える。

「氷央先輩は周りをよく見ている人で、周りの生徒たちが困っているから、ただ手を差し伸べただけです。なのに、その優しさを無下にして、氷央先輩を傷付けるなんて、その当時のクラスメイトが酷過ぎます。氷央先輩は正しいことをしただけですよね。なのに、なんで優しい氷央先輩が傷付けられないといけないんですか」

 言葉にしていく内、胸の中が熱くなってグチャグチャにかき乱されていく。

「だから、そんなに背負う必要なんて全くなくて、だから、その、もし私が氷央先輩の友達だったら、絶対に守ってあげたくて、でも、実際は違くて、だから、その、えっと……」

 その熱に侵されて、私はこれ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。「えっと、だから、その」と言葉を詰まらせていく。

 氷央先輩は窓の外に手を伸ばし、私の頬に手を伸ばすと、

「……なんで君が泣くの?」

 と言った。

 その言葉で私は初めて自分が泣いていることに気が付いた。さっきから私の胸を渦巻く激動の正体は、そっか、涙だったのか。

「分かりません」

 いやいやと駄々をこねる子供のように私は首を横に振った。

「でも、氷央先輩の気持ちを考えたら、自然と涙が零れるんです」

 中水先生の話を聞いている最中からそうだった。優しい氷央先輩が誰かのためを思って取った行動が、氷央先輩を傷付けることになって、どれほど哀しかっただろうか。氷央先輩が感じた痛みは、きっと人の倍以上に鋭いはずだ。

 傷が深ければ深いほど、癒されるまでに時間も要するし、その方法も複雑だ。

 ただ涙を流すだけの私に出来ることなんて、何もない。この一か月の間、痛いほどそれを実感した。

 しかし、それでも――、

「私、どうしたら氷央先輩の力になれますか? 実験じゃなくてもいい。氷央先輩の心が安らいでくれるなら、私は何だってします。だから……」

 泣きじゃくりながら私は言った。

 感情がぐちゃぐちゃになって、自分が何の言葉を口にしているのか分からない。けれど、私の中で想いはハッキリとしている。

 ただ人のためを思って行動できる優しい氷央先輩に報われてほしい。
 ただ、それだけなんだ。
 そのためなら、私の時間や能力すべてを費やしてでも、仕えたい。

「ふっ」

 その時、短く息が漏れるような音が聞こえた。その微かな音に顔を上げると、氷央先輩は微かに口角を上げていた。

「だからって、他人のために泣いてくれる人は初めて見たよ」

 氷央先輩の表情は、どこかまだ覚束なさを感じる。

 けれど、それでも今まで見たことのない穏やかな表情で、穏やかな口調で話しかけてくれた。

「準備室に入ってよ。お茶くらいならもてなすからさ」

 私はまだ氷央先輩が築く氷の壁を解かすことは出来ない。それでも、太陽の光をずっと当て続ければ、少しずつ氷も解ける日は来るはずだ。

 その時、氷央先輩が幸せになってくれればいい。

「ありがとうございます。私、氷央先輩が淹れてくださるお茶大好きです」

 氷央先輩に招かれて、私はいつものように窓から生物科準備室に入って行った。

<――終わり>

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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