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海のさざ波と一定のリズムを刻むささやかな寝息だけが響く、月明かりが灯る部屋。
眠る事に対して最適解とも呼べる部屋にも関わらず、私は全く寝付くことが出来なかった。
その原因である親友の梨乃は、私の心の荒波なんて気付いていないくらいに健やかな寝顔だ。モデルさながらのスタイルを持つ梨乃の眠る横顔を改めて見ると、長くて綺麗な睫毛には、幼馴染みの私でさえも憧れを抱いてしまう。
「ほんと人の気も知らないで……」
梨乃は昔からマイペースな子だ。
私は人差し指を伸ばし、梨乃の頬をつんと突いた。梨乃は「んん……」と寝返りを打った。夕方くらいから今まで笑う余裕もなかったけれど、愛らしい梨乃の仕草に、思わず笑みが零れた。
梨乃とは幼稚園の付き合いで、小学校を卒業するくらいまではこんな感じでお互いの家に行ってはお泊り会をして、一緒に夜を明かして話をしたものだ。
「その時から、梨乃は眠くなったら寝ちゃってたけど」
梨乃が眠った後は、一人で本を読んだり妄想に浸ったりしていた。そして気付けば幸せな眠りに浸ることが出来ていたのだ。
しかし、今は違う。独りの夜を過ごしていると、胸を締め付けられるような痛みがきゅっと走る。
この原因は自分でも分かっている。
梨乃と別れることになるのが、ただただ悲しいのだ。
事の発端は、夕方にまで遡る。
ビーチバレーを終えると、いつの間にか陽はオレンジ色になっていて、水平線に沈みかかっていた。どちらともなく私と梨乃は、隣同士で波打ち際を歩き始めた。裸足に触れる海の温度がちょうど心地よくて、いつまでもずっと触れていたかった。
「美乃里、ビーチバレーの時に意外と動けてたね」
くすっと笑いながら言う梨乃に、「意外の一言は余計だよ」と、私も軽く言葉を返す。普段は吹奏楽部に所属しているため、スポーツは体育の時間くらいしかしない。けど、体を動かすこと自体は好きだから、どんなスポーツでも平均くらいには順応できる。
「でも、久し振りにバレーボールしたけど、本当に楽しかったなぁ」
「でしょ。ボールを落とさない限り、ボールはずっと生き続けてる。誰でも楽しめるのが魅力だよね」
「ねぇ、梨乃。梨乃は大学に行ってもバレーを続けるの?」
そう訊ねると、梨乃は音もなく足を止めた。私は軽く聞いたつもりだったのに、梨乃の周りだけ急に温度が変わった感覚に苛まれる。
いったい梨乃の中で、どんな言葉が渦巻いているのか、私には想像出来なかった。
「梨乃?」
「ごめんね、美乃里」
出来るだけ寄り添うように紡いだ言葉は、謝罪という言葉によってすぐに一蹴された。
モデルみたいに高身長でスタイルが良いけれど、いつもニコニコと人懐っこい梨乃。そんな梨乃が真顔を浮かべると、まるで絵画のようにあまりにも様になって、どこか私と違う世界の人間にも見えてしまう。
「私、本気でバレーボールをすることにしたんだ」
その言葉が持つ本当の意味を、私は瞬時に理解することが出来なかった。だから私は、「へ、へー、いいじゃん」と軽口を紡ぐ。
「そっか、梨乃は大学に入ったら、バレー部に専念するんだね。じゃあ、スポーツの強豪校とかに行くの?」
「ううん、そうじゃないんだ。高校を卒業したら、バレーボールのプロチームに入る」
「え?」
唐突な梨乃の答えに、私は声を漏らした。
足の底から体中が冷たくなっていくような感覚に苛まれているのは、海に足が浸かっていることだけが原因じゃない。
梨乃は「私さ」と言葉を続けていく。
「今までは人より背が高くて、バレーをするにはアドバンテージがあるからっていう理由だけでバレーをしてたんだ。あ、もちろんバレーは好きで楽しんでやってたよ」
ここで、梨乃がいつもの屈託のない笑みで、くしゃっと笑った。けれど、その笑顔を見ても、私は安心することは出来なかった。
「でもね、去年くらいからプロのスカウトが私に目を付けてくれて、そこから私のバレーに対する意識が変わったんだ。ただ体格に恵まれただけの人間に、期待してくれている人がいるんだって思ったら、すごくありがたいって思った。それで、インターハイに出場して結果を残せば、プロにスカウトしてくれるっていう条件をもらったんだ」
「そんなの初めて聞いた……」
「先がどうなるか分からなかったから言えなかったんだよ。うちの高校は全国出場常連校ってわけでもないし」
それでも言って欲しかった、と思うのは傲慢だろうか。
「うちのバレー部はそんな強くないけど、絶対にインターハイに出ることを目標にして私は一年間臨んだ。私の思いを後押ししてくれるように、みんなも頑張ってくれて、どんどん実力もついて来て、なんとかインターハイの切符を掴むことが出来た」
私たちが通うバレーボール部がインターハイに進んだのは、実に十八年ぶりだと、朝礼で校長先生が喜んで語っていたことを憶えている。そして、校長先生の説明の後に、前に立ったバレーボール部一同の中でも頭一つ抜けて背が高かった梨乃のことを誇らしく思ったことも、よく憶えている。
「でも、全国はそんなに甘くないよね。結果は美乃里もご存知の通り、一回戦で敗退した。目標にしていた全国大会に出れただけで気が緩んでいたって、今なら分かるよ」
梨乃は悔しそうに言う。けれど、インターハイで負けた時の梨乃はもっと悔しそうな顔をしていて、ここで人生が終わったと言われても疑わないほどのものだった。
今まで何故そこまで悔しそうにしていたのかという疑問が解けなかったけど、梨乃の話を聞いて、ようやく腑に落ちた。
一回戦で負けてプロへの道が閉ざされたからだ。
「でも、なんでそれでプロなの?」
「スカウトの人が私のことを諦めなかったから」
インターハイの決勝戦が終わった後、梨乃のもとにスカウトの人から電話があったのだと、梨乃はそう語った。
「結果こそ一回戦敗退だったけど、私のプレーに光るものを感じ取ってくれたらしいの。初戦から決勝戦まで見てたけど、私以上にプロにしたい人はいなかったって。それと、私たちと戦った高校が優勝したことも加味してくれたの。それで、青野さんはどうなの、って聞いてくれたの。私自身も、一回戦で敗退したからこそ、プロになるために一年間を生きていたのだと認めることが出来た。挑戦する機会をもらった私に、プロの道を捨てるという選択はなかった。だから、ごめん。美乃里とは同じ進路に進めない」
水平線に沈む夕陽を眺める梨乃の表情を見て、私はその決意の固さを悟った。
マイペースだからこそ芯の強い梨乃とずっと一緒に近くにいるから故に、梨乃がその選択をすることは当たり前の流れだなと思った。
梨乃は自分が好きなものには一途なのだ。
「でも、進路が別々になったとしても、美乃里とはずっと友達だから」
梨乃はニコっと微笑んだけれど、私はその言葉になんて返せばいいか分からなかった。
私は曖昧に「えっと、その」と言葉を泳がせることしか出来ない。
「あー、話したらスッキリした。宿のご飯なんだろうね」
そんな私とは対照的に、梨乃は軽やかな足取りで私を追い越していく。
確かに梨乃は楽になったかもしれない。でも、言われた私の心は重くなるだけだ。
それが、今からたった八時間くらい前の出来事だ。
思い出したら余計に胸が痛むのに、波の音や磯の匂いまで、一つ残らずに思い出せてしまう。
「……なんで」
なんでこうなったのだろう。
私は梨乃と一緒に高校生最後の想い出を作りたかっただけだ。癒えない傷を作るためじゃなかった。
黙って布団の上にいると、心が締め付けられて、無性に泣きたくなる。
「ダメだ」
このまま布団の上で考え事をしていても、状況は変わらない。むしろ、悪い考えを更に拗らせてしまうだけだ。
私は立ち上がって、梨乃を起こさないように静かに部屋の外へ出た。
<――③へ続く>

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