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[小説]ノックして③

ノックして①

ノックして②

 ***

 氷央先輩から拒絶の言葉を吐かれた次の日の昼休み。

 私はとある部屋の前に立っていた。特別な用がない限り普段入ることをしないこの部屋は、生物科準備室に入る時と同じくらい緊張した。

 しかし、いつまでここで立ち往生をしていても、出入りをする人達の邪魔になるだけだ。

 私はゆっくりと息を吐くと、

「一年二組の日下部乃彩です。すみません、生物科の中水先生はいらっしゃいますか?」

 職員室の扉をノックして、部屋の中に片足だけ踏み入れた。

 生徒にとったら只の昼休みだけど、先生たちにとっては昼休みの時間も戦場は続いている。次の授業の準備をしたり、悩みを抱える生徒と話をしたり、先生同士で打ち合わせをしたりと、いつ休んでいるか分からないほど多忙だ。

「あら、日下部さん。中水先生は、あっちの端っこの方に座ってるわよ。中入って声を掛けていいわよ」
「土井先生、ありがとうございます」

 私の担任でもある土井先生にお礼を言うと、職員室の中に入って行った。先生たちの間をかいくぐって、私は目当ての先生がいる窓際の方まで近付いた。

 非常勤講師でもある中水先生の周りには、先生や生徒は誰もおらず、中水先生だけ別空間のように静かだった。実際、中水先生から聞こえる音は、カップラーメンを啜る音だけだ。まだ若いのに、いや若いからこそ、こんな不健康そうな昼ごはんでも足りてしまうのだろうか。

「……あの」

 中水先生の背中に対して小さく声を掛けたと同時、私は急に冷静さを取り戻した。

 私は中水先生と直接話したことはない。いつも利用している生物科準備室の本当の主であるからこそ、私が一方的に知っているだけだ。

 しかし、中水先生からしたら、数多くいる生徒の内の一人に過ぎないのだ。そんな私に急に声を掛けられても、迷惑を掛けてしまうだけではないか。

「おー、日下部じゃないか。どうした、何か用か?」

 しかし、中水先生は当然のように私の苗字を呼んだ。特別なイベントなんて何も起こっていないように、中水先生はカップラーメンを啜り続けている。

「なんで私の名前を知ってるんですか?」

 私の疑問に対して、「……なんで、って」中水先生はカップラーメンの汁をくいっと飲み干した。

 そして、ほぅっと一息吐くと、

「だって、最近生物科準備室に足を運んでくれてるだろ?」

 サラッと言った。

 見た目も若く、親しみやすいという周りの評価から、私はどこかで中水先生は適当でユルい先生なのかと勝手に思っていた。しかし、自分が見てない範囲も把握している姿を見て、中水先生に対する印象を改めるようになった。

「よし、じゃあ、ちょっと移動しようか」
「え?」

 立ち上がった中水先生に、私は疑問符を漏らした。

「昼休みの貴重な休み時間を使ってまで、絡みのない先生に話したい内容なんて、容易に察することが出来るさ」

 自信に満ち溢れた中水先生の表情を見て、この人は全ての事情を知っているのだと察した。私は中水先生の後についていく。

 中水先生が向かった先は、私が毎日のように来ている生物科準備室だった。
 しかし、ここには私が今一番話を聞かれたくない氷央先輩がいる。

「あの、中水先生……」
「今の時間なら氷央はいないよ」

 そう言いながら、中水先生は生物科準備室の鍵を開けた。中水先生の言う通り、生物科準備室の中には氷央先輩はいなかった。

「……」

 私にとって、生物科準備室は氷央先輩がいて成り立つものだと思っている。氷央先輩のいない生物科準備室は、「……別の部屋みたい」、思ったことをそのまま口にしてしまっていた。

「ははっ、変な噂が流れるくらい、氷央の奴はずっとここにいるからな。ったく、こんな小さな部屋で生体実験なんて出来るわけないって、少し考えれば分かるのに」

 中水先生は氷央先輩がしてくれるようにお茶を淹れてくれた。お礼を言ってからお茶を飲む。同じ茶葉を使っているはずなのに、淹れる人が違うだけでこんなにも味が違う。

 一口お茶を堪能していると、

「俺と氷央は昔からの知り合いなんだ」

 お茶から目を離し、中水先生を見た。

「と言っても、正確には氷央の兄貴と高校時代の友達なんだ、俺」

 中水先生は笑いながら言った。
 今年十八歳になる氷央先輩に、七つ歳上のお兄さんがいても不思議ではない。しかし、そのお兄さんが中水先生と友達だとは、なんと世界は狭いんだろう。

「もちろん、この高校に氷央が通うようになるとは夢にも思わなかったぞ。いざここで働き始めたら、懐かしい顔がいたんだもん。あの時は本当に驚いた。うん、本当に驚いた。だって」

 言葉を区切った中水先生は、遠い目を浮かべながら窓の外を見た。

「昔の氷央と正反対の氷央がいたんだもん」
「……えっと、それって」
「俺が昔会った時の氷央は、人懐っこくて優しい奴だった。氷央の家に遊びに行った時も、まだ十歳くらいなのに、お茶とかお菓子とか出してくれたりしてさ。なんて言うんだろうな、お客さんである俺が過ごしやすいように空間づくりをしていたっていうのが正解なのかな。しかも、それが俺だけじゃなくて、周囲の人間全員に対しても自分から動いていたんだ」

 確かにそれは今の氷央先輩とは、逆の印象を受ける。氷央先輩が優しいのは知っているけど、自分から行動するような人ではない。

「俺の中での氷央はそういう印象だったのに、高校の入学式で見かけた時の氷央の顔は冷たく浮かない顔をしていた。思春期だって割り切るには、深い闇を抱え過ぎているようだった。だから俺は氷央に声を掛けたんだ」
「氷央先輩の反応は?」
「兄の友達である俺が声を掛けて、一瞬ホッとしたような表情を浮かべたよ。でも、その顔はすぐに消えたんだ。まるで自分を律するかのようだった。俺が氷央と最後に会ったのは、氷央が中学校に入学した時くらいだった。それで、俺は氷央の中学時代の話を聞いたんだ。一年の一学期までは、周りの助けをするように動いていたらしい」

 私は中水先生に話の続きを無言で催促する。

「で、氷央の通っていた中学では、中学一年の二学期から各クラスで学級委員を選出する決まりがあるらしいんだ。事件はその時に起こってしまった」
「……学級委員になった氷央先輩が、みんなから叱責を受けてしまうんですね」

 出る杭は打たれる、という風潮は、思春期の時により発生しやすい傾向がある。学級委員という立場を駆使して周りに気を遣う氷央先輩を想像したら、確かにバッシングを受けてしまうだろう。

 しかし、私の予想に反して「違う」と中水先生は首を横に振った。

「氷央は学級委員に立候補すらしなかった。なんなら氷央は、学級委員に立候補した同級生が学級委員になるように受かるようにサポートし、受かってからも学級委員の雑用などを支えるように自ら行動したんだ」
「……何も問題なんてないじゃないですか?」

 私は素直に抱いた感想を口にした。氷央先輩の助けを受けたその学級委員の人も、楽が出来てラッキーだと思うのではないだろうか。

「確かに、ちょっとした手伝いなら問題はないな。でも、手を貸したのは、気遣いと優しさの塊でもある氷央だ。氷央は学級委員以上に学級委員としての仕事を果たしてしまったんだ」
「――あ」

 ここで私はようやく中水先生の言わんとする意図を察した。

「純粋に周りを助けたいと思って行動した氷央だったが、その行動は周りの反感を買ってしまった。良い子ちゃんだな、と氷央は周りから罵倒を受けるようになり、ひどい時はわざと仕事を増やされたりしたそうだ。でも、氷央はそれでも人に尽くすことをやめなかった。まぁ、もちろん過度に学級委員の仕事をすることはやめるようにしたみたいだけどな。でも、そんなの中学一年生が面白く思うはずがないよな。氷央のクラスメイトは、氷央を無視することを完全に選んだらしい」

 それからの氷央先輩は、何をしても礼を言われることもなくなったり、誰もが氷央先輩をいない人として扱うようになった。

「氷央は人の反応を気にして行動するような子じゃない。自分の行動が誰かのためになれば、それだけ喜べる純粋な子だ。でも、無関心にされて蔑ろにされることに慣れているわけじゃない。しかも、それを中学一年生が耐えられるものでもない。次第に氷央の心は砕けそうになった。その氷央が選んだ行動は、もうこれ以上自分の心を砕かないようにするために、でもそれ以上に自分の行動のせいで学級崩壊することを嫌に思って、氷央は自分の心に氷の壁を張って、何もしないようになったんだ。あいつは極端だからさ、極力口さえも閉ざすようになった」

 ここまでの話を聞いて、椅子の足がグラグラと揺れているような感覚に苛まれた。気を保つためにも、私はギュッと拳を握る。

「氷央の中学時代の話を聞いて、俺は全てを察した。俺のやり方が正しいかは分からないけど、俺は氷央が高校でも居心地の良い場所が作れるように、生物科準備室の鍵を貸すようになったんだ。これが、氷央の話になるんだけど――、日下部、お前いい奴だな」
 氷央先輩の話をしていた中水先生が急に私のことを褒めた。何をもって言っているのだろう。意味が分からなかった。私は首を横に振って、「私はいい人なんかじゃありません」と言った。そして、更に言葉を続けて言う。

「本当にいい人っていうのは、氷央先輩みたいな人のことを言うんです」

<――④へ続く>

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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