***
私が通う高校の1Fの端っこに位置する生物科準備室には、ひとつの噂がある。
生物科準備室にいる上白石氷央という三年生は、生体実験にしか興味がなく、準備室に来る生き物(人間を含む)を実験台にして楽しんでいる――というものだ。
その噂のせいで、ただでさえ利用者が少ない生物科準備室なのに、部屋の主と化している氷央先輩以外は誰も近付かない。
氷央先輩が孤立しているのは、生物科準備室だけではなく、校舎を歩いている時も誰かと隣り合わせで歩くことはなく、教室でも独りでいることが多い。
これらの噂と日常の行動の生で、氷央先輩が笑っているところを見た人はこの高校にはいないまでだ。
しかし、それでも揶揄することはなく、この高校の生徒は氷央先輩を遠くから傍観している。氷央先輩の冷たい眼差しが、あまりにも孤立していることを良しとさせてしまうからだ。
整った容姿に鋭い眼光、そしてその名前から氷央先輩に付けられた渾名は、氷の女王ならぬ『氷の王子様』だ。
「……」
だから、生物科準備室を前にすると、いつも私の心臓はドキドキと高鳴っていく。
外から生物科準備室の窓の前に何度立ったか分からないけれど、今もそれは変わらない。
この閉ざされた生物科準備室の中で、氷央先輩は何をしているのだろう。誰も中を確認することが出来ないということが、より一層氷央先輩が生体実験にしか興味がないという噂を助長させている。
しかし、私だけは、その噂の半分以上が嘘であることを知っている。
目を閉じれば、今も三週間前の桜が満開だった日のことを思い出せる。
「私、一年の日下部乃彩って言います。もし生体実験で手伝えることがあれば、何なりと私を使ってください!」
初めて生物科準備室の扉をノックした日、私はそう言って氷央先輩にコンタクトを取った。今思えば怪しさ満点でしかないのに、突然部屋に現れた新入生の私を氷央先輩は受け入れてくれた。
確かに噂通り、氷央先輩は言葉数が少ない。けれど、噂と違って、氷央先輩は生体実験に没頭していることはなく、一人で本を読んだり勉強をしたりしているだけだ。けれど、その合間合間に、私に関心を向けてくれてもてなそうとしてくれる心遣いは感じられる。
氷央先輩の細やかな行動を見て、何か事情があるから、噂を受け入れてまで一人でここで過ごしているのだということが容易に察することが出来た。
どこか放っておくことが出来ない氷央先輩が持つ不思議な魅力にあてられて、気付けばずっと生物科準備室に通うようになっていた。
氷央先輩の立場も考えて、私は窓から訪れるようにしていた。
「……よしっ」
私は窓ガラスに映る自分の姿を見ながら、少しだけ髪を整える。風が吹けば、桜が散り、私の前髪も乱されるのだ。しっかりと前髪を可愛く作ると、深呼吸をした。ゆっくり吐いて、ゆっくり吸い、私は窓をノックした。
ノックをすると、そんなに時間が経たない内にカーテンがゆっくりと開かれていく。
今日の氷央先輩も、窓から入ろうとする私を、不思議そうなものを見るような目で見つめている。けれど、やっぱりいつものように私を拒むようなことはしない。
「氷央先輩、こんにちは。今日も乃彩にして欲しいことはないですか?」
いつかこの桜のように、氷央先輩に満面の笑みを咲かせてあげたい――そう心に強く思いながら、私は笑顔で氷央先輩に挨拶をした。
<――②へ続く>

コメント