いつも満たされない感覚が、私の胸を覆っていた。
たとえば、近くに親しい人がいるのに、世界で一人ぼっちになっているような感覚。
たとえば、声を張り上げて自分を主張しても、誰にも気付かれずに無視されるような感覚。
たとえば、自分の嫌なところによって空いた心の穴から、私を形成する何かが零れていくような感覚。
生きていて物足りない感覚が、私の胸には常に付き纏っている。
だから私は求めていた。
降りしきる雨が溜まって、やがて海になるように。
そんな風に満たされれば、どれだけ楽に生きられるのだろう。そればかりを願っている。
***
「心音、考えすぎじゃない?」
生きていく中で言葉にし難い赤裸々な感情を、幼馴染であり一つ上の先輩で、お姉ちゃんのように親しみを抱いている成田聖香――聖ちゃんに話したら、そう笑って一蹴された。梅雨空から避難して来た多くの人で賑わうカフェの中だとしても、聖ちゃんの笑い声はとてもハキハキと聞き取りやすく、私の耳は迷いなく聞き取ってしまう。
「笑いごとじゃないよ、聖ちゃん」
渾身の悩みを笑われたことで、私は聖ちゃんに頬を膨らませて遺憾を示す。
普段周りに対して心を開かない私だけれど、聖ちゃんに対してだけは自分を開けっぴろげに曝け出すことが出来る。
「あはは、ごめんって」
謝っているくせにまだ笑う聖ちゃんだけど、責める気にはなれない。むしろ、聖ちゃんらしいと思って、これ以上言及することを止めてしまう。
聖ちゃんは、昔からそういう人だ。
子供の頃から、環の中心だった。運動も勉強も学年の上位に入って注目を浴びることはもちろん、何より可愛い。大学に入学してからの一年間で、聖ちゃんは更に垢ぬけたように思える。
だけど、聖ちゃんの魅力は、そんな目に見えるところではない。
誰に対しても負担を感じさせないフランクさ。他人を気遣える優しさ。人を夢中にさせる話術。一つ一つの動きから佇む、どことない自信。などなど。
挙げればキリのない内面の性格一つ一つによって、聖ちゃんの周りにはいつも笑顔が絶えない。
私とは違って、聖ちゃんはいつも太陽のように輝いていた。
本来であれば、私みたいな暗い性格をした人間が仲良く出来る相手ではないだろう。
なのに、こうして休日にまで仲良くしてもらえるのは、家が近所で、親同士が元々友達だからだ。多分、聖ちゃんと私を構成している歯車一つでも狂っていたら、私は聖ちゃんと仲良くなることは出来なかった。
私の何十歩も先を進む聖ちゃんの背中を、いつも尊敬の眼差しで見つめていた。時折振り返っては、わざわざ私の隣まで駆け寄ってくれる聖ちゃんの優しさが大好きだった。本人は無意識で行なっているところが、なお憧れを抱く。
「でも、心音も大学入って二か月経つでしょ? 流石に友達は――」
聖ちゃんにジーッと視線を向ける。「まぁ、まだ出来ないか」、肩を竦めると聖ちゃんはアイスティーをストローで啜った。
「大学に入ったら変われるって思ったのに……」
環境が変われば、嫌でも変われると思っていた。だけど、今の私は高校時代のまま何も変わっていない。高校の何百倍もいる同級生達を前にして、誰に何をどう話しかけていいのか分からず、一歩を踏み出すことが出来ないのだ。
「うーん、人間そんな簡単に変わるものじゃないでしょ」
聖ちゃんは、相手が誰でも自分の意見を言えてしまうし、冗談も言えてしまう。私の勝手な妄想に対しても、聖ちゃんは臆することなく違うと言える。
「想像してよ。心音が人の輪の中心に入っているところを」
自分から人に話しかけて、活発的に行動して、自信に満ち溢れてキラキラしている姿――。
だけど、想像の中ですら、輪の中心に立っているのは聖ちゃんの姿だった。昔から私の理想像は聖ちゃんしかいない。
誰よりも一番近く聖ちゃんと過ごしているのに、悲しいことに私は少しも似ることがなかった。
妄想ですら自分を主張出来ない私が、聖ちゃんのように自信を持って生きることは出来るのだろうか。
多分この先頑張っても無理だろう。
「どうだった?」
私は首を小さく横に振る、「正直上手く想像出来ないや」。
「でしょ。でも、心音は想像出来ないことをやりたいと願ってる」
私は小さく頷いた。
もしも引っ込み思案なまま社会に出た時、私はきっと社会に溶け込むことは出来ないだろう。周りからの評価に怯え、他人に合わせることに必死になって、自分らしく生きることが出来ない。
それは、私が心の中で抱いている感覚が、更に助長されていくだけの人生を歩むということだ。
「変わりたいって、本気で思ってるの?」
「うん、思ってるよ」
このまま自分の嫌なところを抱えながら生きるのは、嫌だった。
真っ直ぐに答えたところ、聖ちゃんは不敵な笑みを浮かべた。そして、一人納得したように、「よしっ」と呟く。
「そしたら心音のために人肌脱ぎますか」
「……何を?」
「心音が自信を持てるまで、私が全力でサポートするよ」
そう言うと、聖ちゃんはグラスを手にして、四分の一ほど残っていたアイスティーを気に飲み込んだ。
雨が降りしきる外を窓越しに見つめながら、もうちょっとゆっくりしてもいいのになと思いつつ、私も残っていたアイスティーを飲み干すことにした。
<――②へ続く>
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