***
今年の新入生による、六対六の紅白戦が始まった。
このミニゲームで成果を上げて、監督の目に留まることが出来れば、一年生ながらにしてレギュラーもしくはベンチ入りすることも可能になる。
だから、チームメイトの目はギラギラとしていた。
そんな状況下に立たされると、否が応でも三年前の出来事が脳裏をよぎる。すると、僕の身は縮こまって固くなっていた。
肩を竦める僕に対して、赤ビブスをつけたチームメイトが軽く言葉を掛けてくれるけれど、僕は上手い言葉を返すことが出来なかった。緊張していたことに加え、上っ面だけの言葉だということが伝わって来たからだ。
僕に対するチームメイトの評価は、体がでかいだけのずぶの素人。部活内の雑用もろくにこなすことが出来ないと思われている。
その評価は、全くもって正しい。
あの日以降自信をなくした僕は、自分の意志で何かをするということに対して臆病になっている。失敗して疎まれてしまうことを考えたら、一歩を踏み出すということがどうしても出来ないのだ。
「大弥、来た!」
周りの歓声に、ハッと意識が醒めた。
気付けば、エース候補の大弥にパスが通っている。大弥にボールが渡れば、いつも華麗なプレーで人を惹きつける。たとえ部活の中の小さなミニゲームであっても、それは変わらない。上級生たちが、前のめりになって大弥のプレーを目に焼き付けようとしている。
周りの声や期待なんて関係ないかのように、大弥は軽くボールを蹴り出すと、一気にトップスピードに乗った。守備陣が道を阻むも、大弥は華麗な足さばきで難なく進んでいく。瞬く間にフィールドを切り開く姿は、敵ながら見惚れてしまうほどだ。
そして、気付けは最終ディフェンスラインは、僕だけになっていた。
止めなければ。でも、僕に出来るのだろうか。それに、もしまた怪我をさせたら、今度こそ――。
錯綜する思いを抱えながら、恐る恐る正面を見る。
大弥と目が合った。
大弥とこうして直接マッチアップするのは、あの日以来だったことを衝動的に思い起こす。
怪我をした大弥は二か月ほど部活に出なくなった。同時、二か月という期間は僕の性格を変えるには十分だった。ミニゲームでさえも僕は実力を発揮できなくなり、期待の大型新人という肩書きはずるずると落ちていき、お荷物と称されるようになった。
一方で、怪我から復帰した大弥は低身長ながらも誰の目も見張るほどのプレーで、レギュラーの座を射止めるようになった。いや、それどころか、全国の中学校でも名立たるプレーヤーとして、一躍有名になった。
同じ部活にいるというのに、フィールド上で大弥と向き合うことはなくなった。
久し振りに対峙した大弥の目は、本気の目だった。
「やれば出来る……っ」
僕は自分に言い聞かせるように呟く。そう言うと、脳天を起点に全身に力が巡ったのが分かった。抗えない衝動に、心が突き動かされる。
僕は大弥の前に壁となって立ちはだかった。
逃げない。逃げるわけにはいかない。
大弥がそのまま僕を抜けようとして――、
「?」
その場に留まった。大弥は息を乱しながら、僕を見つめている。何だろう、いつもなら躊躇いなくゴールを奪いに行くのに、大弥らしくない動きだ。大弥は短く息を吐くと、ニヤリと歯を見せた。そして、その唇が七回動く。音にはならなかったけど、「しきりなおしだ」、そう言ったことがハッキリと分かった。
僕は重心を改めて据え、大弥の全身を視界に入れた。大弥がどう動いても反応出来るように、その一挙手一投足に注視する。
ミニゲームであるのだから、本来であれば誰もが自由に動いて良いはずだ。しかし、今は誰も動かない。僕と大弥の一騎打ちに全神経を注いでいる気がした。
大弥が軽くボールを蹴る。同時、体を低姿勢に沈め、地を駆け始める。大弥の姿が消えるような錯覚を受ける。このコンマ数秒と少ない動作で、大弥はトップスピードに乗った。小さな体だからこそ成せる業だ。
けれど、何度も何度も見て来た大弥の動きだ。僕は見逃すことなく、僕達のゴールを目指そうとする大弥の道を阻む。大弥はまるで自分の体の一部のようにボールを扱うと、華麗なボール捌きで、反対方向に逃げ込む。
この細やかな動きで相手を翻弄し、大弥は多くのゴールを掴み取って来た。
今までの僕――自信がないままの僕だったら、このまま大弥を見逃していただろう。
でも、今は違う。
「――やれば、出来るっ!」
そう心で唱えると、僕は右足に力を籠め、一気に大弥が逃げた方向へと跳ぶ。一瞬、大弥は目を見開かせたが、ニヤリと笑みを浮かべる。
大弥の目は、ゴールを見据えていた。そして、シュートモーションに入る。ボールの芯を捉えたシュートは、勢いよく大弥の足元から離れていく。
「うおおおぉ!」
気付けば、僕は吠えながら大弥のシュートに飛び込んでいた。僕の胸元に阻まれたボールは、鈍い音を立てて、ラインを割った。ゲームが、止まる。
しんと静まった校庭に、情けない僕の咳き込む声だけが響き渡った。一身で受け止めた大弥の本気のシュートは、ここまで力強いものだったのかと改めて知った。
何度か咳き込み、徐々に落ち着きを取り戻したところで、
「すげーな、風太!」
思い切り背中を叩かれて、またしても咳込むことになってしまった。突然の衝撃に、後ろを振り向くと、同じ赤ビブスを着たチームメイトがいた。いや、赤ビブスのメンバーだけじゃない。ビブスの有無を問わず、誰もが僕に近付いてくれて声を掛けてくれた。
背や肩を叩かれながら、僕は称賛される。今までからは想像も出来なかった。けれど、すぐに考えを改めて受け入れる。
トッププレイヤーの大弥――しかも、全力を出していた大弥を止めたのだから、ある意味当然のことだろう。
心地の良い痛みと共に湧きだして来るのは充実感だった。
「おい、まだゲームは終わってないぞ!」
監督の声でハッと空気が引き締まる。そうだ。大弥の攻撃を止めただけで、試合は続いている。これが部活の中のミニゲームでよかったと心から思う。
「やべ」
「この調子で頼むな」
チームメイトが肩を叩いて労ってくれた。
僕は胸に手を当てながら、お祖父ちゃんから教えてもらった『やれば出来る』という言葉を思い出していた。
中学生の時、僕はその言葉を文字通りに受け取ってしまった。その時に思っていたのは、
「レギュラーになる」とか「誰にも負けない」とか、僕だけのことだった。周りに目を向ける必要性は一切見出してなかった。
そんな自己中心的な振る舞いが、身を結ばせる訳がない。
だけど、今の僕は違った。
自分を変えたい。そして、僕を信じてくれた大弥に報いたい。
その思いだけで、僕は行動した。――結果、出来た。
僕でもやれば出来るんだ。改めて実感すると、胸から湧き出る感情を逃さないように、僕はギュッと拳を握り締めた。
「風太」
ボールを持った大弥が言う。
そう言えば、ボールを止めてからここまでの間、大弥との接点はなかった。
大弥のおかげで殻を破るキッカケを掴めるようになったのだ。大弥が僕に気遣って花を持たせてくれたからこそ――、
「あり――」
続く言葉を、僕は言えなかった。一瞬、大弥が僕に手加減をしてくれたのではないかと想像したが、大弥を前にしてその可能性はなくなった。
本気で挑んだ大弥を、僕は止めたのだ。
「次は決めてみせる」
大弥は僕に向けて言い放つ。まるでライバルに伝えるかのような言い方に、またしても心が奮える。
「僕も負けない」
自然と口をついて出たことに、自分でも驚く。僕と実力差が掛け離れている大弥に対して、さすがにおこがましすぎる発言だった。しかし、大弥はふっと微笑みかけると、プレーに戻っていく。
ライン上にボールを置いて、リスタートする準備を整えた。
僕は両頬を叩くと、大弥が持つボールに意識を集中させる。
もう、迷いはなかった。
<――終わり>
コメント