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[小説]スパイスひとつまみ②

スパイスひとつまみ①

 ***

 二学期になって三年一組の扉に触れた瞬間、その先の空気が違うことが痛いほどに伝わって来た。

 抱いた違和感の正体を、皆休み明けで疲れているからだろう、と初めは思い込んでいた。長い長い夏休みが終わって、学校に来るのが億劫で、布団からも出たくない。俺もそうだった。出来れば、家にいて、ずっとスマホをいじっていたい。何も考えずに、怠惰を貪りたい。そんな葛藤と、三十分戦って、俺はこの場に来た。

 俺は割り切ってここまでやって来たけれど、みんなはその葛藤を、教室にまで持ち込んでいるだけだ。

「……なら、いっちょ盛り上げてやりますか」

 そう決意すると、見えない何かに対して宣戦布告をするように教室の扉を開けた。

「おーす、ただいまぁ!」

 一か月半ぶりの教室での第一声。冗談を交えた一言は、いつもなら皆の注目を集められるのに、誰一人として俺に顔を向けることなく、机に向き合ったままだった。

 今までに感じたことのない――いや、遠い過去に一度だけ感じたことのあるような気もする空気に、俺は心臓が掴まれたような気分になった。

「どうした? まさか夏バテか? 夏バテで頭やられたか?」

 ここで回れ右をして帰りたい、そんな衝動に駆られながら、藁にも縋る想いでよく話すクラスメイトに狙いを定めて声を掛ける。

 まだ授業も始まっていないのに参考書と睨めっこしているクラスメイトは、煩わしそうに顔を上げた。反射的に頬が少し引き攣る。

「頭やられてるのは、どっちだよ」

 そして、容赦のない一言がクラスメイトから解き放たれた。

「僕たちは受験に向かって本腰を入れて勉強してるんだ。君みたいに遊びにかまけてる余裕は、僕たちにないんだよ」

 クラスメイトの指摘に、俺は周りに目を向ける。

 みんな不満を抱いているような視線だった。中には、ぼそっと「ほんとほんと」「うるさいな」と口にする人もいた。

 ここに来て、この空気の既視感を思い出した。この空気感を肌に感じたのは、ちょうど三年前だ。中学三年生になった時も、高校受験に向けて、教室の空気はヒリヒリとしていた。

 それでも、一部の友達が俺に合わせてくれたおかげで、俺は一人にならずに済んだ。あの時一緒に過ごした友達は、偏差値の低い高校に進学した。

 だけど、この三年一組は、三年前の三年一組とは状況も環境も違う。

 何故なら――、

「ここは大学受験に特化した進学組だぜ? いいかい、僕たちは本気で勉強してるんだよ」

 四六時中を勉強に捧げ、学力上位の大学という狭き門を通ろうとする者しかいないのだ。

「……勉強ばかりだと、息が詰まるだろ」

「それは凡人の考えだ。僕たちは、違う科目を勉強することで息抜き出来る。勉強によって息が詰まるという感覚は理解出来ないね」

 精一杯の反論は、瞬く間に否定される。同時、何でも出来ると思っていた『越生茂貴』を否定されるようでもあった。

「そもそも君の目標は東大だろ? そんな浮ついた態度で、本気で受かると思ってるの?」

 クラス替えがあった四月、俺は自己紹介で堂々と宣言した。

 そのことを憶えてるクラスメイトが、皮肉交じりに言って来る。そして、その歪んだ口角のまま、唇が動く。

 その先の言葉を聞いたらダメだ。決定的に何かが壊れてしまう。

 頭では分かっているのに、俺の瞳は、目の前のクラスメイトの唇から離れてくれなかった。

「君の嘘は、もう十分なんだよ」

 千言に重ねられた嘘よりも、真実な言葉ひとつの方が衝撃が強い。

 ぼろぼろに崩れ落ちた世界で、この後の時間をどう過ごしたのか、全く記憶がなかった。

――③へ続く

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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