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[短編小説]スパイスひとつまみ③

スパイスひとつまみ①

スパイスひとつまみ②

 ***

 俺の発する言葉が様々に装飾されるようになったのは、物心ついた子供の時だ。

 最初は、家族で川に行った時の想い出を「海に遊びに行って楽しかったわー」みたいな感じで、ほんのちょっと話を盛り上げて語っただけだった。そのくらいの、いかにも子供らしい『誇張』だ。
 けれど、その『ほんのちょっと』が周りの気を惹いた。惹いてしまった。「コッシー、すごい」とキラキラした眼差しで言われる度、ぞくぞくした。人から慕われる瞬間というものが、こんなにも気持ちいいものなのかと思った。

 俺はあの快感を得るために、話に『誇張』を交えるようになった。だけど、その『誇張』も周りはだんだん慣れるようになって、反応が薄くなってきた。

 嫌だ。俺を見てくれ。もっと面白い話を用意するから。

 俺は気付けば刺激的な『嘘』で話をするようになった。いや、違う。俺にとっては『嘘』じゃなかった。いつかそうなればいい、という遥か彼方な理想像を、大袈裟に語っただけだ。

 しかし、理想を抱きながらも何を成さなかったら、ただの妄言で消える。形も成さない言葉は、ただの『嘘』に変わりない。

 嘘は人の気を惹くけれど、同時に自分の首も絞めていく。

「コッシーは東大に行くんだから、進学組に志望するんでしょ?」

 俺にとっては一過性の『嘘』に過ぎない言葉を、周りは冗談だと受け止めなかった。

 進路希望調査の紙を提出する一月に、友達が純粋無垢に言って来た。期待の眼差しを注がれてしまったら否定することは出来ず、持ち前のノリで「もちろんだ」と進学組に〇をつけてしまったのだ。

 俺は要領がよく、勉強も苦ではない方だ。東大は流石に無理だが、そこそこ名の知れた大学に行ける自信はあった。だから、進学組に行ったとしても上手く適応出来ると思っていた。

 けれど、それは――。

「とんだ勘違いだよな」

 正月の混み具合が嘘のように人っ子一人いない境内のベンチに背中を預けて、空を見上げた。

 今年の初め、ここで祈った時は、俺は何でも出来るような感覚を得た。だから、同じ場所に訪れれば、あの時感じた全能感を再び感じるかと思った。

「……そんな訳ないのに」

 俺の疲弊して擦り減った心は、何も変わらない。

 この十か月――特に、四月に入って進学組になってからは、息が詰まる時間だった。
 いつもは『誇張』を加えることで、人の気を引いていた。けれど、それじゃ進学組のクラスメイトの心を惹くことが出来なくて、常に『嘘』で塗り固めた。

 その結果、俺は俺自身が分からなくなっていた。

「本当の俺は、何したかったんだっけ」

 年が明けた時は、こんな風になるとは思いもしなかった。
 ベンチの背もたれから体を離し、賽銭箱に目を配る。

 あの時あの場所で、確かに祈りという形で決意したはずだった。その決意も、暫くの間は俺の心に宿っていて、俺は変われるという自信が漲っていた。けれど、クラスメイト達と話していると、その日の内に忘れてしまった。

「当然だっつーの」

 お参りして満足しているだけじゃダメだ。そもそも神様がちゃんといるなら、一年に一回挨拶しただけで夢や願い事が叶うと期待するなんて、失礼に値するだろう。本気で神様に求めるなら、毎日毎日神様の前に進み出なければいけないはずだ。

「っ」

 その時、一陣の風が吹き付けた。真冬の冷たさとは比べものにならないくらい温い風なのに、どこか初詣の日を彷彿とさせる風に、俺は目を瞑って身を縮こまらせた。

 そして、目を開けると――、

「え、俺?」

 そこには、まるで真冬に備えたように大量の服を着込んだ『越生茂貴』がいた。

 自分の可能性を一切疑っていない瞳で、ベンチに座り込んでいる俺を見下ろしている。

「祈っただけで何が変わった?」

 やはりというべきか、俺の声で語りかけて来る。「……変わらないよ」、そう俺は弱々しく応じる。目の前にいる俺の顔を見ることは出来ない。

「自分を偽り続けて何があった?」

 ずっと言葉にして認めたくなかったことを、俺は『俺自身』に突きつけられる。

 そうだ。『嘘』を吐くということは、『本心』を偽ること。

 俺が良かれと思って、自分を偽り続けてきた結果は――、

「……何も、ないっ」

 いや、それどころか、自分を見失ってしまった。『越生茂貴』という人間が、どのように他人から慕われるか――つまり、行動の指針すべてが他人軸になっていた。

 他人に一時だけでも認められたいがために、自分を抑えつけて、無理をして生きて来た。

「そうだよ。俺はずっと嘘で人を騙して来た。俺の言葉を、最初は皆が信じてくれたさ! みんな、俺の嘘を本当だと思い込んで、羨望の眼差しを向けてくれた。でも、だんだん成長して、現実を知ると、俺の言葉すべてがその場しのぎの嘘だってバレた。具体性も将来性も何一つない俺についてくる奴なんて、誰もいない。そんなの当たり前だよな。一緒にいても、何も意味がないっていうんなら、ただ時間を無駄に使うだけだ」

 嘘というのは、刺激に溢れている。
 慣れない刺激に、最初はその言葉を鵜呑みにするが、慣れて来ると受け付けることすらなくなる。

 まるで味付けの濃い料理みたいだ。最初は慣れない味に美味しさを感じるけれど、その味に慣れて来ると、だんだんと脳が受け付けなくなったり、健康に悪影響を及ぼすことを自覚してくる。
 使い方を間違えると、誰もが口にしなくなる。
 まさしく今の俺のようだ。
 
「俺はどうありたい? 何を願う?」

 九か月前の俺が、そう問いかける。

 俺が今年の初めに願ったこと。そうだ。今年こそ俺は――、

「――自分に嘘つきたくない」

 心の奥から漏れる本心。だけど、嘘偽りのない想いだというのに、堂々と言うことが出来なかった。

「嘘をつかないでも、自分に自信を持って生きたいんだよ」

 けれど、それはただの願望で終わる。ここにいる俺が、何よりの証拠だ。
 どうやったら自分に自信を持って生きることが出来るんだろう。

「だったら、やれよ」

 自信に満ち溢れた容赦ない言葉を突きつけられる。

「願って満足して寝て、叶うと思ってるのか?」

 正論。

「自分を変えるためには、それ相応の努力ともがきが必要だ」

 正論。正論。

「だけど、俺は何をした? いつも言葉だけで何もしてないじゃないか」

 正論。正論。正論。

 自分でもぐうの音も出ないほどの正論を人から言われる時、嫌気が差すものだ。自分が間違っているという烙印を、強く強く押されてしまっているだから。

 その中でも、正論を言われて最も嫌気が差される人物がいるのなら――、

「俺は昔からそうだ。本当の自分を押し殺し、結局、嘘で自分を塗り重ねた見栄を――」
「俺に言われなくても、俺が一番知ってる!」

 ――それは間違いなく自分自身だろう。

「俺の嘘に刺激される奴はいない。痛いほどに思い知ったんだ。そのせいで、どれだけ情けない姿を晒して来たと思ってる。だから……」

 誤りを悟りながらも正論を行なえずにいる情けない自分と、二十四時間三百六十五日、面と向かって対峙しないといけないことがどれほど耐えがたい苦痛か。

 そんな苦痛を打破するために必要なことは、たった一つしかない。

 俺は顔を上げて、目の前にいる『越生茂貴』を睨み付ける。

「だから、もういい。やってやる。俺は今ここから決別して、生まれ変わってやる!」

 勢いよく立ち上がった俺の背後から風が吹き付ける。あまりの強さに足を取られ、よろけそうになるが、なんとか踏ん張って前を見据え直す。

 すると、風が止んだ。

「……いない」

 風と共に、過去の俺は消えていた。

――④へ続く

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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