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添田千草は、私の幼馴染で親友だ。
私とチグちゃんの性格は正反対だと思う。私は能天気で明るい性格が功を奏して、いつも多くの友達が周りにいた。けれど、チグちゃんの周りには、時々数人が声を掛けるくらいで、孤高の人だという認識が周りにはあった。そして、チグちゃんは私とは違って物事を俯瞰することが出来て、的確にアドバイスをくれる。
正論を言われることを厭う子供にとって、チグちゃんは疎まれる存在だった。実際に、友達からもよく「なんで千草と友達なの?」と聞かれたことがある。その度、私はチグちゃんの良いところを言葉にして伝えた。残念なことに、チグちゃんは我を貫く人だから、私が好きな部分を他人に見せつけることはせず、周りのチグちゃんに対する評価は変わることはなかった。
そんな性格も人付き合いも違うチグちゃんと仲良くなれたのは、母親同士の影響が大きいと思う。母親同士が元々友達らしくて、家も近かった。だから、毎日と言っても過言ではないほどに、チグちゃんと顔を合わせて、その度に色々と話した。
私にはないものを持つチグちゃんが好きで、一日に一回は少なくとも話したかった。
そんな時代を、高校生まで過ごしていた。流石に互いの夢もあって、大学の進路は別れてしまったが、高校を卒業してからも私とチグちゃんの関係性は変わらない。
一日に一回が、一週間に一回、もしくは一か月に一回となってしまっても、私はチグちゃんと顔を合わせては、すぐに昔のように心の内を語り合った。
チグちゃんと話せば、いつも私の心は和らいだ。
だから――、
「仕返し……かぁ」
チグちゃんと別れた帰り道で、先ほどの出来事を一人回想していた。
仕返し、と言葉を紡いだ時のチグちゃんの妖艶でどこか挑戦的な表情が、別れて数時間が経っても脳裏に鮮明に刻まれている。
「……し、仕返しって?」
カフェで対面で座っていて、私は上手い言葉を返すことが出来ず、ただただチグちゃんらしからぬ言葉をオウム返しした。
だけど、チグちゃんは勿体ぶったように笑みを浮かべるだけだった。
「わ、私、流石に犯罪とかには手を出したくないよ?」
「あはは、そんな物騒な真似はさせないよ」
ようやくチグちゃんが笑ってくれた。「やっぱクーちゃんは面白いなぁ」と、眦に浮かんだ涙を拭う。面白いことを言ったつもりはない。私は少しばかりの反抗を示すように、頬を膨らませて、唇を尖らせた。
「ごめんごめん。えーっと、なんだっけ。あ、そうそう。私がクーちゃんにして欲しいと思う仕返しって言うのはね、あいつ本人にすることじゃないんだ」
「へ?」
チグちゃんの予想外の言葉に、私は間抜けな声を漏らす。私はてっきりテレビドラマなどで見るようなドロドロとした仕返しをするのかと思っていた。
「あいつにしないで出来る仕返しなんてあるの? 私、全然想像出来ないけど……」
「クーちゃんが幸せになればいいんだよ。あいつと関わって時よりも、何十倍も」
「……っ」
至極真っ当な意見。でも、私は気の利いた言葉を口から出せず、言葉に詰まってしまった。
高校時代の想い人でもある彼とは、去年付き合い始めた。まさか恋人という関係性になれるとは思ってもいなかった私は、一年もの間ずっとずっと幸せの有頂天でいられた。ここまでの人生を振り返っても、この先の未来を鑑みても、きっとあれ以上の幸せはない。そう断言出来るほどに、私は満ち足りていた。
なのに、彼と付き合っていた一年よりも幸せになれ、とチグちゃんは言う。
「ど、どうやって?」
「それ、クーちゃんの悪い癖だよ。自分でしっかり考えないと」
私よりも何倍も頭が良く冷静に物事を見極められるチグちゃんに、私は甘えてしまうところがあった。
だけど、今回はチグちゃんが言い出しっぺなのだから、答えを――、いや、せめて方法くらい教えてくれたっていいではないか。
「多分クーちゃんが感じることが出来る幸せは、私がクーちゃんに願う幸せと、限りなく近いと思う。だけど、私が言ったらダメなんだ。自分で考えて、探して、見つけてこそ、胸を張って自分の幸せだと言えると思うから」
チグちゃんの言うことに間違いはなかった。良くも悪くも、私は周りに合わせてしまう。ある意味純粋な私の性格上、きっとチグちゃんから答えをもらったら、その言葉を何も考えずに受け止めてしまうだろう。
だから、私は何も言わずに、ただ黙って頷いた。
私が幸せだと感じることは何なのか。少なくとも、あいつに振られたばかりの私には分からない。
先ほどまでは気にも留めなかったテーブルの汚れが、やけに目立って私の目に映る。
「大丈夫」
よほど私が切羽詰まった表情をしていたのだろう。降り注がれるハッキリとしたチグちゃんの声に、私は顔を上げた。
「クーちゃんなら、絶対に仕返し出来るよ」
チグちゃんは言葉とは真逆なほどに清々しい笑顔を浮かべて言った。
「とは言ってもねぇ」
先ほどの出来事を回想し終えた私は、空を見上げながらぼそりと呟いた。
チグちゃんの言うことを聞いた直後は、素直に納得できるものもあった。けれど、チグちゃんの話が終わってから数時間が経過しているが、私は私の幸せの片鱗すらも見出すことが出来ない。
いや、むしろまだ私は、彼の背中を縋り求めている。
彼と一緒に過ごせば、何も考える間もなく、私はすぐに幸せになれた。私にとって、彼は幸せの起爆剤だったのだ。
その手段を失った今、私は何に喜びを感じるのか。
果たして、私は本当に幸せになることが出来るのだろうか。
「……だめだめ」
心に翳りがよぎった時、私は首を横に振った。
このまま彼に想いを寄せて行っていたら、私の心が音を立てて崩れてしまうような気がした。
そうなってしまったら、私は彼に仕返しをすることが出来なくなってしまう。
彼に再会した時、私は運命を感じ、それから全てを捧げるように彼に尽くして来た。だけど、彼は私の想いを「重いよ」とたった一言で一蹴したのだ。
「……よし」
まだまだ全貌を見ることは出来ないけれど、この心の空虚を埋めるためには、チグちゃんの言葉に従う他はなさそうだ。
二月の寒空の下、私は握りこぶしを作った。
<――③へ続く>
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