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園畑紅愛は、私の幼馴染で親友だ。
母親同士の仲が良かったことで、私はクーちゃんと物心ついた時から一緒にいた。当時の私は、とんだ生意気で我が儘な子供だった。中途半端に頭が良かったせいで、すべてのことを俯瞰したような態度でいた。その性格ゆえに、人を寄せ付けないところが多かった。
けれど、そんな私のそばにクーちゃんはずっといてくれた。
私が幼馴染だからという理由だけではない。
クーちゃんは優しい人だ。
たとえば、周りにいる人が元気がなかったら、クーちゃんは迷わず近付いて声を掛ける。そして、持ち前の天真爛漫な明るさで、すぐさま笑顔を与える。誰に対しても分け隔てなく寄り添うことが出来るクーちゃんの周りには、多くの人が集まっていた。一歩下がったところで客観していた私にさえも、クーちゃんは迷わず手を伸ばす。
これを本人は無意識下で行なっていたのだから、他者のために尽くす天才と呼ばざるを得ないだろう。
けれど、あいつと付き合ったことで、クーちゃんの優しさを彼一人に注がれることになった。もちろん恋人同士だから仕方のないことでもある。
高校時代からクーちゃんがあいつに惚れていたことを聞いていた私は、クーちゃんの選択ならばと言葉を詰めることはしなかった。何より、クーちゃんの幸せそうな顔を見て、ただの幼馴染である私が何かを言えるはずがなかった。
そんな幸せな最中にいたクーちゃんに、だんだんと変化が生じていった。いや、変質というべきか。
クーちゃんは自分が持っている全てを、あいつに注ぎ始めてしまったのだ。
恋情も愛情も慈愛、それどころか必死になって稼いだお金も、仕事がない際のせっかくの自由時間も、すべて与え始めた。
その分、彼もクーちゃんに投資してくれるならまだいい。だけど、あいつはクーちゃんから奪うだけ奪って、自分のものは一切与えようとしなかった。
クーちゃんとあいつの関係は、もはや恋人ではなく、ただの奴隷関係に等しかった。
許せなかった。
私の大切なクーちゃんが無下に扱われていることに、自身でもどうしようも出来ないほどの理不尽さを感じていた。
なのに、静観を貫いてしまったのは、クーちゃんが幸せだと感じるのなら良いことなのだ、と自分に言い聞かせてしまったからだ。
けれど、クーちゃんが捨てられたことを聞いて、私は自分の選択を後悔した。
もっと強く言えば良かった。あいつだけは止めた方がいい、とクーちゃんに言えば、運命は変わっていたのかもしれない。けれど、強く言えなかったのは、クーちゃんの悲しむ顔を間近で見たくなかったから。そして、何よりも私がクーちゃんに嫌われたくなかったから。
私は卑怯者だ。私はクーちゃんの幼馴染だなんて、胸を張って言うことが出来ない。
悲しんでいるクーちゃんを前にして、私に何が出来るだろう。
そう考えた時、私の口から衝いて出た言葉は――、
「仕返し、しよ」
だった。
そう言った時のクーちゃんの顔は、今も忘れられない。鳩が豆鉄砲を食ったよう、というのは、この時のクーちゃんの表情のことを言うのだと思う。
けれど、そんな反応もするのも当然か。
クーちゃんは優しくて純粋な人だ。誰かに悪戯をすることにさえも抵抗があるのに、仕返しという行為に対する印象は、言わずもがなだ。そんな純粋な反応が楽しみで、少しだけ悪戯心が芽生えてしまうのは、ちょっとだけクーちゃんに申し訳なくも思っている。
仕返しについて説明をすると、クーちゃんは胸を撫で下ろすようにホッと一息を吐いた。
私が提案した仕返しは、彼を不孝に貶めるような、言葉通りの仕返しではない。あいつといた時よりも、ずっともっと幸せになるということだ。
彼と付き合っていた時、クーちゃんは幸せを感じていると言っていた。けれど、自分のために生きず、自分を大切にしてくれない相手一人に幸せを見出すのは違う。
誰にでも言えることではあるけれど、クーちゃんは一人の人物に縛られて生きていいような器の小さい人間じゃない。クーちゃんにはもっと幸せに生きられる道がある。
そこまでの言葉は言えなくとも、私が抱く想いを全部籠めて、クーちゃんには伝えた。
クーちゃんは分かったような分かっていないような顔をしていた。
失恋して傷心中だったクーちゃんには、酷なことを言ったかもしれない。
もしかしたら、クーちゃんが抱いていた理想を強く砕くような言葉を言ったことで、私は嫌われる可能性もある。自分の選択に一切の不安がないと言えば、嘘になる。
だけど、いい。
人は苦難を乗り越えてこそ、成長していく。ここで言わなければ、クーちゃんはまた過ちを繰り返す。人に尽くせるがあまり、一人の人間に依存してしまい、クーちゃんもその人もダメになってしまう。もうあんな風に空回りをするクーちゃんを見たくはなかった。
クーちゃんが幸せになれるのなら、私がどう思われようとどうだっていい。
私の願いは、ただ一つ。
ただそれだけが、クーちゃんによって幸せにしてもらった私が願うことだ。
「……クーちゃんなら大丈夫だよね」
これからクーちゃんと会う約束をしていた私は、先に一人でカフェに入ってコーヒーを飲んでいた。
私はあえてクーちゃんに明確な助言をしなかった。本気で挑戦した果てに自分で見つけてこそ、自分のものになると思っているからだ。そして、クーちゃんなら一人でも見出すことが出来ると信頼もしていた。
一か月ぶりに会うクーちゃんは、果たしてどんな表情をしているだろうか。
時計に目を落とす。コーヒーを啜る。そろそろ約束の時間が訪れる。
店の扉が開かれた。店内に入った人物と、視線が重なる。
「――チグちゃん」
春の陽気に当てられた見る者を明るくする元来の光を見て、私は自分の選択が正しかったことを確信した。
<――⑤へ続く>
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