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[小説]狂って、想って②

狂って、想って①

 ***

 薄れつつある意識の中、何かが見えた気がした。その何かは酷く朧気で、よくよく意識を集中しなければ、その全容を見ることが難しい。手放したくなる意識を何とか手繰り寄せて、必死に必死に世界を知ろうと試みる。

 まるで靄が掛かったように朧気だった世界は、なんとか影形だけは見えるようになった。現実ではありえないような、荘厳とした景色。加えて、見出した者を祝福するような音が鳴り響いている。
 この景色は、たったの一部だ。たったの一部であるに関わらず、関わろうとする者の五感を虜にしようとしているのが分かる。

 行きたい。聞きたい。触れたい。見出したい。

 幾重の欲望が湧き上がる。

 しかし、自分より遥か高みの存在というのは、欲を見出した瞬間に人の手から抜け落ちるというのが世の常。

 誰も彼もを虜にする世界は、凡人を拒むように再び朧気に霞んでいく。虚しいことに、霞んだ意識の先で、音を立てて崩れたのが分かった。

 また届かなかった。ひどく落胆してしまう。完全で独立して触れた人を魅了する世界に至るために、何が必要なのだろう。分からない。分からない。分からないから、ただただ没頭する。
 意識を集中させて、新しい世界を見出す。しかし、一度片鱗を見てしまったからか、朧気にすら現れてくれない。むしろ、資格すら脱却されたように、思考が黒く染まっていく。

 どうしたって私の理想を覆す世界を見出すことが出来なくて――。

「……っ」

 浸っていた世界から京花が目覚めるキッカケは、頬にあてがわれた冷たい感触だった。

 スッキリとしない目覚めから徐々に脳を覚醒させていくような感覚で、京花は自分の世界から現実へとピントを合わせる。

「まーたやってるの、京花?」
「……由梨」

 あと少し近付かれれば密着してしまいそうなほどの距離にいたのは、由梨だった。

「ごめん、タイミング悪かった?」

 京花の機嫌を窺うように尋ねる由梨。と、同時に京花の目の前に水が差し出された。京花を現実に引き戻した水を見た瞬間、喉が自然と鳴った。体が水分を求めている。

「ううん、行き詰ってたから大丈夫。水、ありがと」

 受け取るや否や、京花はグビグビと水を呷った。いつぶりになるか分からない水分が、京花の中を勢いよく循環していく。

 ぷはっ、と飲み口から唇を離すと、

「どれくらい経ってる?」
「んー、今回は三日くらいかな。言うて、プロデューサーからはやりすぎないように見張っといてって言われてるからね。京花は心配することないよ」
「そっか」

 道理で水が身にも心にも染みるわけだ、と京花は一人納得した。

 三日ぶりに口にする水は美味しかった。水を一口でも飲んでしまえば、自然と空腹も感じてしまう。
 京花のことを良く知っている由梨は、何も言わずにおにぎりを手渡して来た。「ども」と軽く礼を口にすると、おにぎりを頬張る。
 そして、腹を少し満たしたところで、京花は己の愚行を思い知る。

「また、出来なかった……」

 今や不動の人気を博している『破蕾』というバンドのメインボーカルを、京花は務めている。

 小柄で可愛らしい京花からは想像も出来ないような、聞いた者の心を掴んで離さない力強い声が、周囲から根強い人気を集めている。しかし、その他にも人気を集めている理由がある。

 それは京花の手で書き下ろされた作詞と作曲だ。特に京花が綴る作詞は、聞く人の心に優しく寄り添うような歌詞になっていて、唯一無二の人気が集められているのだ。

 しかし、詩を書く当の本人は、無意識だった。作詞をしようとすると、いつも自然と京花の頭の中は言葉で覆い尽くされる。その言葉を、心境や情景に合わせて、書き綴るだけだった。

 そして、作曲をする際には、誰にも邪魔されない防音室に閉じ籠って、二日でも三日でも必死に音だけをかき集める。

 京花は、それを才能だと捉えていた。
 自分の納得が行く理想の音楽を見出すまで、とことんやる。それが、京花の常だった。

「作詞だけでもプロなのに、自分で作曲もするって本当に音楽が好きなんだね」

 けれど、京花の周りは違う。

 破蕾のボーカルという表向きの京花しか知らない人間は何も思わないけれど、京花と近しい人間はいつも畏怖の念を抱き、そして、その異常さに距離を置く。

 寝食すらも忘れ、人としての尊厳をかろうじて保つ姿は、常人には理解し難いのだ。京花の身を案じた友人が、一度それとなく注意しようとしたけれど、殺気のこもった眼差しを向けられて諦めた。京花の才能を見出しているプロデューサーでさえも、「京花は音楽と共に生きている人だから」と匙を投げるほどだ。

 同じバンドメンバーの由梨も、京花の没頭する姿を見て「狂っているなぁ」と一笑に付している。笑ってくれるならまだマシな方だ。
 だからこそ、由梨は京花が信頼して合い鍵を託せる数少ない人間だ。

 由梨がいなければ、きっと世間から見放され、置いて行かれていることだろう。

 しかし、本当に理想の音楽を追及するのなら、全てを投げ売って没頭する必要があることも同時に理解していた。

「私なんてまだまだ」
「はいはい、謙遜謙遜」

 歯噛みしながら応じた京花の言葉を、由梨は軽くいなした。
 混沌とした部屋の中を由梨は歩くと、「お」と一枚の紙を手にした。

「これなんて良いんじゃん?」

 由梨は床に散らばっている手書きの楽譜を手にしながら、軽く口ずさむ。

 自分の頭に浮かび上がった世界。逃さないように書き落とした世界。何度も口ずさんで確認した世界。
 悪くないと思っていた旋律だったけれど、いざ他人の口から奏でられると、京花が生み出した世界は酷く稚拙な気がした。

「全然足りない」

 必死に作り上げた調べさえも、理想に届いていないならば、京花は容易く切り捨てる。
 そうしてしまうのには、京花の過去が関連している。

 今や不動の人気を博している京花だが、京花の音楽活動は最初から順風満帆ではなかった。最初に組んだ『SEED』というバンドで出した曲がネットで名を馳せて有名になったけれど、一発屋として終わってしまった。京花の声に惚れ込んだ今のプロデューサーに声を掛けられて、破蕾として何とか売れるようになった。
 ありふれたバンドストーリーかもしれないけれど、京花本人にとっては簡単に手に入れた立場ではないのだ。

 栄華からの失墜を知っているからこそ、慢心することなく、絶えず最高の音楽を生み出していきたいと思っている。

「本当よくやるね」

 悔し気に握りこぶしを作った京花に、やれやれと言ったように由梨は肩を竦めた。

「京花、また周りの人から噂されてたよ。この家の住人はヤバい奴だ、って。そこまでしてやらなくてもいいんじゃない? 二十歳らしく少しでも若々しいことを――」
「なんで?」

 真面目なトーンで、京花は言葉を返す。

 京花にとって周りからどう思われようと関係がない。大事なのは、音楽という媒体で作り出す京花の世界が、受け入れられるかどうかだ。更に忌憚のない表現を使うならば、誰も見たことも聞いたこともない世界に、聞く人を導けるかどうか、そこにしか興味がなかった。

「私は誰もがアッと驚くような世界を作りたいの。そのためなら、どんなものも犠牲にする覚悟をしてる。だって、そうしなければ、絶対に理想の最高傑作を生み出すことは出来ないもの」

 京花は自身の胸に手を添えながら、由梨を見据える。質問をした由梨の方が気圧されてしまうほどだ。一切にぶれることのない京花の瞳が、まるで「凡人だ」と叱責しているようで、由梨は思わず目を逸らしてしまった。

 京花は肩を一度竦めると、

「それこそが私の生き甲斐なの」

 そして、京花はまた白い紙を真剣な目で見つめた。今の京花の頭の中には、いくつもの音符が浮かんでは消えていた。口ずさむことで音の流れを掴み、書き綴ることでこの世界に目に見える形で落とし込んでいく。

 けれど、どうしても満足いく音楽が出て来ない。
 京花の理想とするものは、今生み出しているよりも、もっともっと遥か高みだ。こんなものじゃ満足できなかった。

 もう話は終わったと言わんばかりの集中力を、京花は白紙に向けて注いでいた。否、実際に由梨が目を逸らした時点で、京花の中で話す価値はないという決断ですでに終わっているのだ。

 京花の答えを聞いた由梨は、

「ま、分かってたけどね」

 落胆に近い溜め息をふっと吐いた。京花の反応は、由梨が思い描いたものとほとんど変わっていなかった。それでも真っ直ぐ見れなかったのは、由梨自身の弱さからだ。

 破蕾を組むようになってから早三年。由梨は京花のことを間近で見続けて来て、京花の性格を分かっているつもりだ。「……でも」、由梨は言葉を呟く。

「ほんと狂ってるよ」

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 一日中自分の世界に浸っては、新しい調べを見出す。

 時には寝食を忘れてまで、自分の中から旋律を生み出そうとする。不思議と疲労も何も感じない。それを何日も何日も繰り返す。

 自分でも狂っていると思う。
 だけど、仕方がない。

 いつ出会うか分からないのだ。もしかしたら、小さな雑音だと切り捨てた中に、新しい世界への活路が隠されているかもしれない。けれど、集中していなければ、見極めることすら叶わない。
 五臓六腑、神経の先から先まで、全てを犠牲にしなければ、僅かな時を逃してしまう。

 だから、周りから何と思われようとも、ただただこの身も心も捧げるだけだ。

 必要最低限以外のことは全て捨て、またしても自分の中の世界に入り込む。

――③へ続く

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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