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チナエルには伝説があった。
その内容を要約するのであれば、いつか光が訪れて、チナエルの状況を覆してくれるといったものだった。
伝説が宣布されたのは、今から三百年ほど前の話。小さく貧しい国ではあったが、国民の間には希望が満ち溢れ、活気があった。
しかし、今や――。
「ここは、どこだ?」
三年ぶりに帰って来た故郷、けれど記憶と違う故郷を前にして、思わずポルタは疑問符を口にしていた。
今のチナエルに活気はなかった。表に出ている者はいるも、基本的に誰とも関わることなく、黙々と自分の作業だけに没頭している。そこらへんに生えている草木も手入れはされておらず、もはや無法地帯と称するに相応しかった。
フォンが炊き出しをやめ、ロージが大道芸を披露するようになってから空気が変わり始めたけれど、ここまでは荒んでいなかったはずだ。
「もしかして、ポル坊かい?」
「オロ婆!」
久し振りに再会した占い師のオロは、やはり以前の記憶よりも瘦せこけているように見えた。
「急に挨拶もなしに出て行ったから心配したよ」
「う、そうだけどさ。自分のことは気にするなって、オロ婆が前に自分で言ってたんだよ?」
「ひゃひゃひゃ、冗談さ。フォンと一緒にいなくなったから、なんとなく察していたよ。それに、占いでも分かっていた」
オロは屈託なく笑った。一緒に暮らしていた時と変わらない態度に、ポルタは胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
「三年ぶりだね、オロさん」
今まで言葉を発しなかったフォンが、ここでオロに対して声を掛けた。
「おや、フォンも一緒だったのかい? ひゃひゃひゃ、お互い長生き出来ているもんだ。あんたは全く変わらんねぇ。で、この国に何しに来たんだい?」
「この先の町に行くのに通り道だったから、様子だけでも見に来たんだけど」
「なるほどねぇ。国の離れからでも分かるように、チナエルは死んだよ」
オロの視線が、チナエルの中心部に注がれる。ハッキリと言葉にせずとも、その視線を追うだけで、オロの言いたいことは全部伝わって来る。「……全部ロージのせいさ」、そして悔し気に呟いた。
「……オロ婆」
ポルタは簡単に声を掛けることが出来なかった。三年もの間ポルタとフォンがチナエルを離れていた際、チナエルで残った人々がどれほど辛酸を舐めたかは完全に理解することは出来ない。
オロは視線をフォンに向けると、
「あんたがやっていたことは、この町に多大な影響を及ぼしていたようだね。あんたの炊き出しを皆当たり前のように受け入れていたけれど、なくなって初めてその価値に気付いたよ」
「私は、ただご飯を提供していただけだよ」
「謙遜だねぇ。あんたが提供していたのは、ご飯だけじゃない。人々が安心して交流出来る場所を提供していたんだ。温かい料理を食べながら、何気ない雑談を交わせること。それは生きる上で、とても大切なことだったのさ」
「……恐縮です」
フォンが頭を下げる一方で、ポルタは何も言葉が告げなかった。
チナエルの国民が交流できる場所を奪うキッカケを作った張本人、それはポルタだ。清算したはずの過去が、ポルタの胸を抉る。
幼かった、という理由だけでは許されないことを、ポルタはやらかした。
いたたまれなくなったポルタは、
「オロ婆、ロージは今……」
「中心地に行けば、すぐ分かるよ。今は大道芸をやめて、自分の我が儘を周囲に撒き散らしている。さながら羊の皮を被った狼だったという訳だ。まぁ、本性を露わにしたとて、あいつに陶酔している人間は、疑う頭すら残っていないだろうがね」
もしもオロのようにロージの狙いに気付いている人間が多くいれば、ここまで酷い状況には追い込まれていなかっただろう。しかし、現実は違う。
チナエルの国民の目を覚ますためには、何が必要だろうか。
「師匠。少し自由時間をください」
「いいよ。久し振りの故郷だからといって、羽目を外し過ぎないようにね」
「はい」
フォンとオロに対して頭を下げると、ポルタはチナエルの中心部に向かって走り出した。
そして、フォンとオロが二人だけになると、
「師匠なんて呼ばせているんだね」
「勝手にそう呼んでくれているだけさ。私は何もしていないよ。この国を出てから、ポルタは自分の力で変わったんだ」
「ひゃひゃひゃ。そんなもん、あの子の姿を一目見た時から分かったよ。時間は怖いね。同じ三年なのに、荒んでいくものもあれば、一方は成長して生まれ変わっていく」
ポルタが去った方角を、オロは愛おしそうな眼差しで見つめていた。その様子を見て、フォンはにこりと笑った。
フォンとオロの交わしたやり取りを当然ながら知る由もないポルタは、チナエルの中心部に向かって走りながら、変わった町並みを見つめていた。
「……ごめん」
何百回目になるか分からない、謝罪。
フォンから許しの言葉を貰ったとはいえ、ポルタがやったことが消えた訳ではない。
だからこそ、ポルタはこの状況を打破するために何が出来るかを、駆けながら必死に考えていた。
一度口にした言葉は覆せない。そして、一度受け入れたものは、よほどのことがなければ覆せない。
ロージがフォンを貶めた時、「魔法の粉」という人々の心を惑わす嘘の情報を伝達することで、人々の脳髄に金槌を叩いた。
その結果、フォンの炊き出しを信じていた国民は、ロージの操り人形となって発したポルタの言葉を受け入れてしまった。そして、手のひらを返すように、フォンを排斥してロージの大道芸を指示するようになった。
ロージの悪どいところは、大道芸を純粋に楽しみに来た国民に対して、微々たるものではあるが魔法の粉を摂取させたところだ。一度で摂取する量は微量とはいえ、何度も摂取すれば適量を超えることになる。
あれから三年が経過したと考えると、チナエルの国民達がどれほど接種し、魔法の粉を影響を受けてしまっているか。想像することさえ怖ろしい。
「魔法の粉の影響をなくすためには、現実を認めさせること……だったよな」
フォンと旅に出てから、ポルタは魔法の粉について調べた。
魔法の粉を吸引した者は、基本的には思考を放棄することで現実との境を失くしてしまう。だから、現実を思い出させるような強烈な何かを突きつけることが出来れば、魔法の粉から解放されるはずだ。
「一発勝負、だ」
チナエルを救うためならば、自分が汚名を着せられようと関係がなかった。むしろ、その覚悟は出来ている。
皆の心に衝撃を与える一言は、なんだ。
まだ考えが纏まらない中、ポルタはロージの前に到着してしまった。ロージの周りには、かつてポルタにも良く接してくれていたチナエルの民がいる。
まさしく王のような扱いを受けていたロージは、
「お前、あの時のガキか……?」
目を見開きながら体を前のめりにさせた。
「この国からいなくなったガキが、今更何をしに来たんだ? ここはもう俺の国だ。お前の居場所はどこにもないんだよ」
ロージの口調は、まるでポルタを挑発するように、人のことを小馬鹿にしたものだった。
三年の間でポルタが成長したとはいえ、ロージの中では子供そのものだ。何も出来ないと見くびっている。
実際、肩で息をしているポルタに対して、ロージは悠然とした態度を貫いていた。客観的に見たとしても、余裕があるのはロージだ。
「……」
無策のまま勢い込んでロージの前に出て来たポルタだったが、チナエルの現状を前にして分かったこともある。
正気を取り戻すには至らなかったものの、束の間チナエルの国民の瞳に動揺の色が滲んだことを、ポルタは見逃さなかった。
皆の心を取り戻すための取っ掛かりが残されていることだ。
ポルタは覚悟を決めた。ロージの手からチナエルを取り戻すため、再び嘘を吐き、汚名を被ろう。
ふぅと小さく息を吐くと、
「兆しが、ここに現れた」
――この国民が何よりも信じているもの、それは伝説。
伝説を利用しているようで嫌だったが、ポルタが思いつく最善策は、どう考えてもこれしかなかった。
あれほど待ち続けて希望を抱き続けた伝説の到来を目の当たりにすれば、天地が震えるほどの衝撃を受ける。ポルタは、そこに一縷の望みを託すことにした。
「三百年の時を経て、ようやく伝説を成す時が訪れた。今まで小さき者の中に閉じ籠っていたがゆえ光を露わにしなかったが、ここを離れ三年、闇から救うため現れた」
威厳を持って語るポルタを、ロージは狂気でも見るように唖然と見つめていた。その一方、チナエルの国民は半信半疑といったように、お互いの顔を見合わせている。
ポルタは臆さない。揺れない。逸らさない。
己さえも信じなかったら、これらの言葉に力は宿らない。
だから。
「天命に逆らう者がどのような目に合うか分かろうか?」
――自信を持って、言え。
「国が再生するためには、民が革命を起こさなければならない。その意味が分かるか?」
――皆の心が動くように、語れ。
「現状に満足するなら、それで良い。しかし、だ」
――この国を貶めてしまったのが俺の責任なら、この国を救うのが俺の使命だ。
言葉を発していく度、ポルタは自分が自分でないような感覚に陥った。この感覚は悪いものではなかった。熱い火にくべられて、自分が新しくなるようだ。
「僅かにでも打破したい思いがあるのなら、動け。行動することで変えるんだ」
ここで、ポルタは息を止めた。次の言葉に、全身全霊を込めるためだ。
そして――、
「今一度、問う。成すべきことは、何だ?」
「うぉぉぉぉぉおおおぉぉぉッ!」
ポルタが力強く問いかけた瞬間だった。今までロージの横で人形のように黙り込んでいた国民たちが、魂を取り戻したように吠えた。その勢いのまま、ロージに詰め寄っていく。
今まで余裕綽々とした態度を貫いていたロージは、突然の反逆に後ずさりをした。しかし、後ろを見なかったことですぐに転げ、そのまま尻もちを着いた。
「お、お前ら……、落ち着け」
完全に腰を抜かしてしまったロージは、両手を前にして、チナエルの国民達に訴えかけた。しかし、ロージの意志に反して、どんどんと距離が詰め寄られ、人々の圧迫がなくなることはない。
ロージの訴え――否、ただの命乞いに等しい叫びは空振りに終わろうとしている。
それでもロージはまだ許しを請うことはしない。プライドが邪魔をしていた。
「俺が何をして来たか、分かってるのか? 炊き出しの楽しみを失ったお前らに、楽しさを提供したのは誰だ? 生き甲斐を提供してやったのは誰だと思ってる?」
「もういい!」
ロージを一喝したのは、チナエルの国民の中で最も頑強な体を持つミュールだった。
「お前だけに都合の良い御託は、もう御免だ! ロージ、お前はただ自分の言うことを聞くコマを欲しがっただけだろう」
「そうだ! この国は、お前のものじゃない!」
「ぐっ」
ミュールの後に続く国民の声に、流石のロージも息を呑む。そして、ロージが怯んだ瞬間を見計らって、
「十秒くれてやる」
「……はぁ?」
「十秒で、俺達の前……いや、この国から消えろ! でなければ――」
「ひぃ!」
ロージは言葉を最後まで聞く前に、その場から逃げ去った。悪の元凶がいなくなったことで、チナエルの国民は喝采を上げた。このように喜びの声が響くのは、実に三年ぶりのことだった。
これで少しずつではあるけれど、チナエルの町にも昔のような活気が取り戻されるだろう。
ロージが去っていった方角を見て、ポルタも自分のことのように喜んでいた。しかし、安堵したのも束の間、すぐにポルタは別の問題の処理に頭を悩まされることになる。
その問題とは、ポルタが伝説を勝手に騙ったということだ。
チナエルにおいて、伝説とは神聖視されるべきものだ。それを昔からの顔なじみである地元の少年が騙ってしまったら、伝説が穢されたと叱責されても仕方がない。
そもそも、このやり方が正解ではないことは、ポルタ自身分かっていた。
人助けをするということは、自分を犠牲にしてでも寄り添ってあげること――、フォンと旅した三年の間で、ポルタの中でそう結論付けていた。
ポルタは誰に寄り添うでもなく、自分の考えで全てを行なった。
魔法の粉を利用していたロージからチナエルを救うために仕方がなかったとはいえ、さてはてどうしたものか。
この先の展開を想像して頭を悩ますポルタに対して、
「すまなかったな、ポルタ」
「へ?」
ミュールを筆頭にして、チナエルの国民が頭を下げた。自分がそうされることに、ポルタは理解が出来なかった。むしろ、謝るのはポルタの方だとさえ思っているくらいだ。
「お前に嫌な役割を背負わせてしまった。俺達がもっとハッキリと自分の頭で考える力を持っていれば、ここまで酷いことにならなかったのに」
「いや、別に……。だって、そもそも俺のせいで、ロージが……」
「なんでお前のせいなんだ?」
ポルタがずっと抱いていた罪悪感――、それをチナエルの国民たちは一息で笑い飛ばした。
――皆の前で罪を告白して許されたこと、加えて悪の元凶を自身の手で清算したこと。
三年もの間胸を占めていた罪悪感が、ようやくポルタの中から完全に消え去った。
「ありがとう、ポルタ。力を合わせれば何とかなるって分かったよ。お前のおかげだ」
「あ、う、うん」
少々の照れくささを感じ、ポルタは自分の頭を掻いた。その仕草は、まさしく子供のようだ。
「ははっ、この国を救った英雄なんだから、もうちょっとシャキッとしろよ」
「いてぇっ」
加減を知らないミュールに思い切り背中を叩かれたことで、ポルタはその場でよろけてしまった。しまらないポルタに、この場にいる全員が笑う。
皆の笑い声につられ、ポルタも声を上げて笑った。
何も気にすることなく声を出すこの空間は、まさにフォンが炊き出しをしていた時に戻ったかのようだ。
――これが、たったこれだけの出来事が、預言されていた伝説なのかは分からない。
もしかしたら、また今後、更なる困難がチナエルを襲うかもしれない。
しかし、それでも何とかなる。
チナエルの国民たちは、小さかった少年の成長した勇ましい姿を見て、確かにそう思った。
<――終わり>
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