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青天の霹靂、というのはこういうことを言うのだろう。
風のように現れて、風のように去っていった潮。
潮と過ごした時間はたったの数時間で、交わした言葉はわずか数言だ。
なのに、強烈なインパクトを俺に残していった。まさか今日初めて会う男とたったの半日一緒に過ごしただけで、俺の人生観全てが覆されるとは思いもしなかった。
俺は今までEDENを絶対視していた。エンゼルくんという評価によって、頭を抱えさせられることもあったけれど、EDENがない生活までは想像したことがなかった。
そりゃそうだ。生まれてからずっとEDENがあることが当たり前だったのだから。
トレンドもEDENが教えてくれ、誰かと繋がるためにはEDENが不可欠だった。また、選択に迷いが生じたら、エンゼルくんに問いかければ、答えをもらえる。しかも質が悪いことに、所有者の好みを把握したエンゼルくんが示す道は、ほぼほぼ的中している。そんな人工知能があれば、迷わず使用してしまうのは、人としての性だ。
しかも、楽しく有意義に使えて、報酬まで貰える可能性があるなら、より一層だ。
多分この日本に住む九十パーセントの人が、俺の意見に共感してくれるだろう。
だから、金槌を打たれたようにボーっとする頭でもって、少しだけ考える。
もしもエンゼルくんに従っていれば――。
「こんな思いもしなかったのか……」
面接に落ちた俺がエンゼルくんに問いかけた時、エンゼルくんは真っ直ぐに家に帰ることを推奨していた。しかし、エンゼルくんに逆らった結果、俺は潮に出会い、人生観を覆された。
潮と出会わなければ、ここまでの思いを感じることはなかった。
「……いや」
俺はEDENのアプリを開いた。すると、エンゼルくんが画面上を忙しなく浮遊し始めた。忙しない俺の性格を、見事に捉えているようだ。そして、画面の中を縦横無尽に動くエンゼルくんをタップする。
すると、最近のエンゼルくんがどのような情報を吸収して成長しているのか、詳細な画面が出て来た。つまり、俺の検索履歴や使用履歴が、容赦なく現れたということだ。
くだらない内容ばかりだった。俺なりに上手くやっているつもりだったけれど、客観的に見ると、そりゃBランクなわけだと納得してしまう。
これが、ここにあるのが、立石彪雅のすべてだ。
――そう思っていたけれど。
「自分の人生は自分が……か」
潮の言葉が脳裏をよぎる。そして、「みんなが正しいって思ってることは、本当に正しいのかな」と直前に言っていた言葉も、同時に俺の心を抉り出す。
今まではエンゼルくんの評価を、絶対的に捉えていた。エンゼルくんが吸収した俺の情報からも、それは正しく正当な評価だろうと思い込んでいた。
だけど、このエンゼルくんの評価という基準を作ったのは、クリエートという一企業――、つまりは俺と同じ人間だ。
「エンゼルくんだなんて、クリエートにとって都合のいい人間を作っているだけじゃないか」
気付いてしまえば、今まで疑問すらも浮かばなかったことが異常であったとしか思えなくなる。
クリエートがエンゼルくんを使って何をしようとしているかまでは分からないし、興味がない。一個人である俺が、今や国民的人気を誇るアプリを開発している大企業に太刀打ち出来るはずがない。だから、そこはそれでいい。
問題なのは、そこに縛られ続けていたということだ。
EDENをインストールしている人は漏れなくして、エンゼルくんのSSS化を目標にしている。けれど、そこにはどこかSSS評価のためという、邪の心が同居していることになる。
EDENとエンゼルくんがある限り、本心から善意を行なうことは出来ないのだ。
だけど、そのカラクリに気付くことなく、EDENを使い続ける。万が一気付いたとしても、SNSというアプリとしても優秀なため、使用は避けられない。
クリエートの戦略は、上手く人の心理を使った戦略だ。
俺はまだ生きてから、二十一年ほどしか経っていない。EDENが普及している年月の方が、むしろ長い。
けど、だからこそ俺はEDENに依存している。
道を歩く時、俺はスマホを眺めながら歩くことが多い。つまり、世界がもたらす変化に気付けないということだ。
しかし、EDENを知らない潮は、違う。
スマホを持たない潮は、敏感に世界の変化を察知する。すれ違う人が財布を落としたことにも気付けるほど、常に周りに意識を向けている。
それは、俺に、いや現代の日本人が持っていない感覚だろう。
たった半日の間、一緒に過ごした潮の挙動は、一瞬一瞬を大切に感じようとするものだった。それは、この忙しない現代社会において美徳とされない行為だ。
けれど、それこそ人間として大切な本質ではないか。
だからこそ、潮は純粋なままでいられている。
きっと潮みたいに純粋な人間こそ、SSSランクのエンゼルくんが生まれるのだろう。しかし、EDENを知らないから、クリエートが提供する報酬を受け取る術がない。かといって、EDENをインストールしてしまえば、僅かでも報酬のことが心によぎり、完全なSSSランクに至ることは出来ない。
つまり、クリエートは報酬を掲げておきながら、報酬を渡すつもりなど最初からないということだ。
気付いてしまえば、今までこのカラクリに気付けなかった自分が情けない。
悔しくなった。
どこがEDENだ。EDENの中にいるのは、天使なんかじゃない。天使の皮を被った悪魔だ。
こんなのに溺れるせいで、俺は俺らしく生きることが出来ない。ならば、俺は。俺は――。
手にしていた端末を、地面に向かって思い切り叩きつけた。
<――⑤へ続く>
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