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[小説]マタノボル①

 ***

 このしんと静まって張り詰めた空気を、私は生涯忘れない。

 息を吸う度に胸が凍てつき、私の歩む意志を削ぐような寒気が肌に触れる。

 年が変わったたった三十分前までは何でも出来るような気がしていたのに、そのように決意した私はもういない。
 けれど、仮に私が言い訳したとしても、その言い分に納得してくれる人は多いはずだろう。

 だって今私と親友であるパルコこと晴子は、新年早々暗がりの中で険しい山道を、たった二人きりで歩いているのだから。

「うわぁ、年明けの山ってめっちゃ寒いんだね、ヨッカ」
「真冬の夜の山って、だいたいそういうもんよ」

 私とパルコは、小中高と一緒に通っていて、まさしく『幼馴染み』という言葉で互いの関係を表すのが一番適している。本名は『陽香』なのに『ヨッカ』と呼ぶのは、幼馴染みであるパルコだけだ。その代わり、『晴子』のことを『パルコ』と呼ぶのも私くらいしかいない。しかし、今年、いや年が開けたから去年になるが、別々の大学に通うようになって、これまでのように一緒の時間を過ごすことは少なくなっていた。
 それでもスマホで連絡を取り続けているが、毎日送り合っていたメッセージも、いつの間にか三日に一回になり、今や一週間に一回ほどの頻度に下がっていた。
 少しずつ疎遠になりかけている私たちだったが、こうして地元の山に登って初日の出を見ようと言い出したのは、パルコからだった。

 中高に陸上競技部に所属し、今も大学のランニング愛好会に所属している私は体力にそこそこの自信を持っているが、パルコは中高では吹奏楽部に所属していた。

「パルコ、体力持つの?」

 いくら地元の山とはいえ、標高もそれなりにある。

 しかし、パルコは持ち前の明るさで、「大丈夫、大丈夫」とピースサインを作った。

 久し振りに会うというのに、パルコは変わらない。パルコといると、やはり心が和らぐ。いつまでも変わらないパルコでいて欲しい、と実現しようもない願望を抱いてしまうほどだ。

「ねぇねぇ、ヨッカ。ヨッカには叶えたい願いってあるの?」

 パルコから問われて、私は首を傾げた。

 この地元の山には、不思議な逸話がある。

 年が切り替わったタイミングで山を踏み入れた者が、頂上で初日の出を見た時、願いが叶う――というものだ。ただし、もし強い願いを抱いたにも関わらず、頂上で初日の出を見ることが出来なければ山から下りることが出来なくなる、らしい。私は出会ったことはないけれど、実際に願いを叶えた人が、この地元にいるという話も上がっている。

 しかし、あくまで噂は噂だ。そんな逸話を純粋に信じるほど、私は子供ではない。

「んー、特にないのよねぇ」
「あはは、もったいな。せっかく願いが叶えられるチャンスなんだよ。なんで来たの?」
「パルコに誘われたからでしょ。そういうパルコは?」
「私の願いは単純だよ。ヨッカとずっと一緒にいたい」

 パルコの答えに、思わず咳き込んでしまった。

 私が真っ先に頭の中から排除した先ほどの気の迷いに近い生産性のない妄想を、パルコは何の迷いなく言い切った。

「本気?」
「だって、最近ヨッカと会う回数が少なくって来てるじゃん。昔はあんなに一緒にいたのに」
「……お互いそれぞれの人生があるんだから仕方ないでしょ」
「それでも私は願っちゃうんだよ。あんなに楽しかった時間が消えちゃうのは、なんか嫌だ」

 嫌だ、と言われても、パルコの願いは流石にどうしようもない。パルコが願っているのは、大学入学前の時間に戻るタイムトラベルか永遠に同じ時間を繰り返すタイムループ、ということになる。この現実において、そんな非現実的なことは起こりえない。パルコの気持ちは分かるがゆえに、「……パルコ」と、小さく名前を呼ぶことしか出来なかった。

「なーんてね」

 夜中独特の重苦しい雰囲気に押し潰されそうになった時、パルコが空気を霧散させるような明るい声を出した。

「そんなこと絶対に出来っこないんだから、今は山を登って初日の出を見ることを楽しもうよ。久し振りにヨッカと遊んでるんだしさ」

 パルコは「そうと決まれば、いっくぞー」と、大股で山を登り始めた。

「パルコ、ペース配分考えなさいよ」

 私はあえて話を掘り下げることをせず、大きく一歩を踏み出していくパルコの背中を追った。
 初日の出は、だいたい七時頃に昇って来るのが一般的だ。頂上まで登り切ることを考えれば、決して時間に余裕があるわけではないが、ゆっくり登って途中で休憩を何度か挟んだとしても、一応間に合う計算だ。

「ヨッカは今も走ってるの?」
「うん、大学もランニング愛好会に入ってるしね。パルコは音楽やってるの?」
「ううん、私はやめちゃった。今はバイトをメインにしてるよ」
「塾講師だっけ。ちゃんと教えられるの?」
「私、エリート講師って言われてるんだよ?」
「本当かなぁ」
「ほんと、ほんと。あ、ヨッカ、上見て。星が綺麗だよ」
「すごい。普段こんな時間に外なんて出ないから、こんな綺麗なんて知らなかった」
「ねー、しかも外っていうか山だよ。冷静に何やってるの私たち、って話だよね」
「誰かが山で初日の出を見たいって言わなければね」
「あはは、それはゴメンって。あ、男の子が泣いてる。私、チョコ持ってるんだよね。あげた方がいいかな?」
「両親がついてるだろうし、大丈夫でしょ。寄り道してたら、初日の出に間に合わなくなるよ」
「あー、待ってよ、ヨッカ」

 お互いの近況や視界に入った景色など、他愛のないことを話しながら、私たちは山を登った。
 暗闇の山の中、懐中電灯だけを頼りに山を歩くことは恐ろしい。けれど、パルコが一緒なら、恐怖心なく歩くことが出来た。

「そろそろ頂上かな」

 パルコの声に、私はスマホの時計を見た。今は六時半、そろそろ頂上に辿り着いてもおかしくない時間だ。このままのペースで行けば、初日の出にはギリギリ間に合うだろう。

 そんなことを考えていると、私たちの背中を車のヘッドライトが照らした。頂上には売店や自販機も少しだけ設置されているから、車道も整備されているのだ。当然だが、ここまで登山をして来た私たちの努力を嘲笑うように、車は颯爽と山道を進んでいく。

「私たちも車に乗れれば良かったのにね」
「風情がないでしょ」
「あはは、言えてる」

 それに、新年早々にパルコと一緒に登山をするなんて、またとない機会だ。こうして話しながら一緒に山を登ることが出来て、私は楽しかったし、なんだか嬉しかった。

「あ、見て、ヨッカ」

 顔を上げているパルコの視線の先を追うと、空にグラデーションが掛かり始めていた。

「え、やば。もう?」

 初日の出の予想時間よりも、今はまだ十分ほど速い。なのに、日が昇り始めているのは、完全に目論みを誤ってしまった。

「パルコ、急ぐよ」
「えー、待ってよ、ヨッカぉ」

 私一人だったら間に合うだろうけど、言い出しっぺのパルコを置いていく訳にはいかない。パルコとはぐれないギリギリの速さで、私は山を登る。
 ここまで私たちの視界を阻むように生えていて木々が、ようやく開けて来た。

「パルコ、もう少しだよ!」

 後ろにいるパルコに顔を向けて言う。「やったぁ、楽しみ!」と、駆け足で山を登っているにも関わらず、パルコは嬉しそうな笑顔を見せる。

 私が再び前に顔を向けると、進む道の先に、ほんのりと陽射しが差し込んで私たちを包み込んだ。
 美しく荘厳な色に包まれ、あまりの眩さに目を瞑る。後ろにいるパルコも、きっとそうしただろう。

 そして、ようやく光に目が慣れて、目を開けると――、

「あけましておめでとう、ヨッカ!」

 私の隣に立っていたパルコが、そう言葉を紡いだ。

 パルコがどんな顔で言ったのか、まるで深夜のような暗さに周囲が包まれていたせいで、確認をすることが出来なかった。

――②へ続く

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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