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『英雄はいる。――誰かの空想の中に』
それが、少年が心の中に導き出している答えだった。
文明が発達し、わざわざ遠く足を運ばずとも世界と繋がることが出来るこの現代、自分の立場を放り出して、危険な地へと赴き、手を差し伸べる人はいない。保身的というか、利己的な人間が増えているように見える。
自分が傷つき、裏切られると分かっていながらも、打算なく尽くせる人なんて稀有だ。
それでも、歴史上に英雄と呼ばれる人はいる、という声は多方から上がって来るだろう。
確かに、過去を振り返れば、英雄と呼ばれるような偉人は多く存在している。
しかし、彼らは自分の周囲にだけ、自分の出来ることを行なっているだけだ。もしくは、戦時中に戦果を上げたことで周りから祭り上げられたとしても、相対していた国からは悪魔と忌み嫌われている。
華々しい名誉を持つ偉人だとしても、少年が求めている英雄像とは異なっていた。
少年が求める英雄。
それは、強く、優しく、敵味方問わず手を差し伸べる人。苦境に晒されたとしても、自分の意志を最後まで貫ける人。そして、世界そのものを覆してしまえるような、大きく大きな人だ。
だけど、そんな人はどこにもいない。
そもそもの話、たとえフィクションの中に登場するヒーローだとしても、世界を歯牙にかける組織と戦い、容赦なく手を下すことだってあるのだ。空想でも現実でも、人は自分の世界が一番大切で、それを守るためならば他者を犠牲にすることにいとまがない。
自分をおいてまで、全ての人を守り世界を良くするような完璧な英雄は、この世界のどこを探してもいない。もしいるとすれば、それこそ神と呼ぶに相応しい。そして、仮にそんな英雄に出会えたとしても、少年のような小さな人間に対して、一人の人として向き合うことはしないだろう。
分かり切った事実だ。期待すればするほど虚しくなる。
だから、少年は今日も英雄を空想する。自由気ままに、この広く高い青空をキャンバスにして。
***
青く、高く、広い空。
一九六〇年代、戦時中だというのにベトナムの空は雲一つないほど清々しく晴れ渡っていた。そして、ベトナムの地に足を踏み入れた青年の心も、この青空のように迷いなく晴れ渡っていた。
戦争なんて誰も行きたくない。日常的に人が生き死にし、数秒先の自分の命さえ保証されない場所に、心優しい彼も同じ想いを抱いていた。
神様を愛する彼だからこそ、この戦争に参加させられると決まった瞬間、神様に対して疑問を抱くこともあった。
しかし、その疑問は青年の予期せぬ形で解かれることになった。
行きたくないと思うばかり、生死を彷徨うほどの体調不良に苛まれた時のことだった。青年を戦争に行かせまいとする神様の心情であれば良かったのに、体の調子は一向に悪くなるばかりだ。やがて、『病で死ぬよりもベトナムに行って戦って死んだ方がマシだし、行ったからといって必ず死ぬ訳ではない』と考えを翻すようになった。
その瞬間、まるで考えの転換を見計らっていたかのように、『みんなが行かないと言っても、あなただけは行くべきだ』という天からの声が、彼の心に響き渡った。『あなたは私を信じるから死の恐怖に恐れ、心配するのではなく、誰よりも人類の平和のために先頭に立って行きなさい』と、更に霊音が響いた。
神様の言葉に胸を熱くし、青年が戦争に参加すると決めた時、永遠に続くかのように思われた苦痛は、不思議と治まった。
その経験から、青年が戦争に参加することで成し遂げて欲しいと願っている神様の心情を痛切に感じ取った。彼の胸中を覆っていた雲のような心配や憂いは霧散し、また青年の心が翻ったことにより、彼と共にベトナムに向かう派遣部隊みなの心までもが翻るようになっていた。
だから、青年は神様の想いを代弁する使者として、この戦争を終わらせるためにベトナムまでやって来た。
戦争の中心地においても、彼は神様の心情を体現した。
愛する兄弟がこれ以上血を流して争わずに済むように、神様を信じて生きる人間として、戦場を駆けて、駆けて、駆けて止めようとした。止めなければ互いに死ぬまで戦ってしまう。身を粉にして、精神をすり減らしながら、一秒一秒を生きた。
神様が共にされている青年の機転に、彼が所属する部隊は何度も何度も救われて来た。また、彼が関わった人々の運命は、死から生へと転じて行った。
青年はまさしく神様の想いを戦場でも伝え続けた。
なのに――。
(――こんな日が来ようとは……っ)
この時、青年は銃口を向けられていた。敵兵の指はトリガーに掛けられていて、後は引くだけ、といった局面だ。
まさに生死の窮地に立たされた青年は、戦争に参加するようになってからここまでに至る経緯を瞬間思い返していた。言葉では語りつくせないほどの壮絶な経験ばかりだった。戦争に馳せた時のことを記したけれど、青年が味わった辛酸はむしろ戦場での方が多い。
それでも、戦争に参加している間ずっと、青年には神様が共にしていた。
神様の使者として戦争を終わらせるために参戦しているというのに、ここで青年が死んでしまったら、神様の想いを、真の平和を、誰が成就させるというのか。
しかし、だ。頼れる人は、誰もいなかった。同行していたただ一人の仲間も気絶して横たわっているし、他の隊員はこの場所から離れた拠点にいる。吐息さえ漏らせない緊迫した一触即発の状況だけれども、仮に助けを呼ぼうと声を張り上げても、応援に駆け付ける者は誰もいない。
敵兵と視線が重なった。容赦なく青年を撃ち殺そうとしていることが、痛いほどに伝わった。
相手との距離、三メートル。青年の手にも銃はあるけれど、指を引かれたら生き残る保証はない。
ここまで一人さえも殺さなかった結末が、これか。ここで死ぬために二十二年間もがいて人生のあらゆる苦痛を味わって生きたのか――、そう己の運命を嘆きたくなった。
動転して立ち尽くす青年を見て、敵兵は銃口を胸に向けて定めた。敵兵の心は、青年を討つべき対象とみなしている。もはや助かる術はなかった。
青年は全てを諦めるように目を瞑ると、
『神様、あぁ神様』
心の中で切実に神様を呼び求めた。
青年の運命の手綱を委ねられるのは、この瞬間神様しかいなかった。
呼びかけに応じて、天から大きくて雄大な声が聞こえた。
『――愛しなさい!』
愛らしく、畏れ多い声。絶対に人間には真似が出来ない声。間違いなく、神様の声だった。
『愛そうとして行ったら殺されます』
青年が僅かに動くだけで、敵兵は指を引くような状況だ。神様の声は得策ではないように思えた。
『――あ・い・し・な・さ・い!』
二度目の切迫した声。答えは変わらない。
『行ったら殺されます!』
またも青年は反論するも、それからは何の声も聞こえなくなってしまった。
頼みの綱であった神様の言葉も、青年には理解しがたい言葉だった。本当に言葉のままに従っていいのか、瞬間疑問を抱いた。
しかし、刹那の迷いさえも、敵に撃ち殺す機会を与えるだけ。
じっとしても死ぬし、行っても死ぬ。
(――ならば、神様に従おう)
青年は重い一歩を踏み出した。死の恐怖に震えていた心身が、熱くなり、超人のような力が湧き上がって来た。
更に、もう一歩。すると、予期せぬことが起こった。
「……っ!」
故郷にいるはずの彼の妹が、目の前に現れた。
「どうしてこんなところにいるんだ」
驚いた青年は、手にしていた武器を捨てて、妹の元へと走り寄った。
そして、そのまま抱き締める。
抱き締めている間、青年の目から涙が留まることはなかった。妹のことを思い、ただただ泣いた。
暫く泣いた後、抱き締めている相手を見たら、先ほどまで青年の命を狙っていた敵兵だった。歩を踏み出した瞬間、敵兵の顔が彼の愛する妹のように見えていたのだ。
青年は抱き締めている相手が敵兵だと認めた上で、
「あなたも私も何の害も加えていないのに、どうして殺し合わなければいけないんだ」
そう語りかけると、更に涙が溢れ出した。目の前にいた敵兵も、「私も同じだ」と言わんばかりに大きく涙を流した。
ベトナム語が分からず意志の疎通が取れなかった青年だったが、この時相手の言葉が分かった。相手も青年の言語が理解できた。
ここにいるのは、兵士という立場の人間ふたり。本来であれば、国が戦場に送って戦えと言い、指揮官が殺せというから、仕方なく引き金を引かなければいけない立場だ。敵を殺すことだけが平和を成すことだと主張して、両軍の指導者は戦場に兵力を送って戦わせてしまう。それにより命を落とすのは、最前線に投入された罪なき兵士たちだ。
そのような環境で出会ってしまった二人は、その手にしている銃口を、互いに向き合わなければいけなかった。
けれど、その運命は青年が神様の言葉を実践したことで覆った。
ここにいるのは、兵士という立場以前に人間ふたり。それぞれに家族がいて、大切なものがあって、かけがえのない経緯をもって、生きている。
殺し合う理由は、どこにもない。
無益な殺生をすることなく、温かい体で抱き合いながら、互いを想って涙した。まさしく神様が共にされている奇跡だった。
――けれども、ここで話は終わらない。
四十分ばかり抱き合ったところ、突如兵士は思い出したかのように、右手を自身の臀部の下に入れた。そして、ひどく緊張した様子で、徐々に尻を持ち上げ始めたのだ。
突然の行動に理解が出来なかった青年は、何事かと兵士の肩に触れ、揺らそうとした。しかし、兵士は青年の手を振り払って、「危ないから下がれ」と言い放った。
兵士の行動の理由を察した青年は、危険なことであれば私がやると、手を兵士の尻の下に伸ばそうとした。だが、兵士は首を横に振って自分がやると言い放った。兵士は慎重に動き、ついに臀部の下から何かを取り出した。
兵士が手にしているのは、手榴弾。しかも安全ピンが抜かれ、今にも爆発してしまいそうだった。
「手榴弾を投げる。危ないから伏せて」
少し前までは互いに命を奪い合おうとしていたのに、敵だった相手を気遣う兵士の姿に、青年は感激した。
「あなたは座っている状態で、遠くに投げれないだろう。私がやる」
そう言って、青年は兵士の手から手榴弾を取ろうとしたが、兵士は拒んだ。安全ピンが抜かれた手榴弾を手渡しすることは、爆発を早める可能性があって危険だったからだ。
そして、兵士はその場で手榴弾を放り投げた。
距離にしたら、およそ十メートル。
二人の元から離れて、僅か四秒後。
――ドカーンッ!
空気を震わせるほどの轟音を伴って、爆発した。
爆発に巻き込まれることなく、青年と兵士は無傷だった。
青年は後ほど知ることになるが、負傷して満足に動けなくなった兵士は、自滅覚悟で安全ピンを抜いた手榴弾を敷いて座っていたのだった。そんな綱渡り状態で、敵を撃とうと銃口を構えていたし、青年と長い間抱き合っていた。
運命の歯車が一つでもズレれば、青年と兵士は手榴弾の爆発に巻き込まれるところだった。
しかし、神様は青年たちに共にしてくださった。
四十分の間互いに体を揺らしながら泣いていたにも関わらず爆発しなかったこと、その前の敵兵に撃ち殺されるはずだったところから生き延びたこと――。
それは、まさしく奇跡だった。神様が青年たちを生かすために見せてくださった大きな恵みと御業の他、表現することは出来ない。
生きて帰れるということが、どれほど喜ばしいことか。
仮に天下を得たとしても、自分の命を失ったら何の有益もない。
自身の鼓動が確かに打っていることを実感しながら、ベトナムの晴天を見た時のことを思い出す。
『あなたは絶対に死なずに生きて帰る』
兵士が何人も何人も死んだ、という話を聞いた時に、青年が死の恐れと恐怖を感じ、『もし私の命を生かしてくださるならば、私を生かしてくださった方がただ神様であることを信じて、私の体を神様が願うとおりに一生使います。神様の愛で敵を殺さないから、敵も私を殺さないようにしてください』と切実に祈り求めた際、このような霊音が如実に心に響いた。
青空が神様の目のように見えて、『私は生きて帰れる』と強く確信し、神様の使者として戦場を駆け抜けることが出来たのだ。
(――そうか)
あの時の祈りを、神様はずっと憶えていて、参戦している間絶えず叶えてくれていた。
ならば、命を生かされ続けた青年がやるべきことは、決まっている。
この戦争がどれだけ続いてしまうかは、この時の青年には分からないことだ。この先の戦争でも、理不尽なことが起こり、不明瞭な現実が待ち受けていることだろう。
けれど、青年が分かっていることは、一つある。
自分だけは、神様の作戦を実行しなければならない、ということだ。それが神様に生かされている青年が、この戦場ですべきことだった。
だから、銃をもって戦う作戦ばかりに神経を注ぐ人がほとんどの中、青年は他人を大切にする真実な愛の作戦を実行した。
戦争下、青年が敵を殺した数はゼロ。
――そして、戦争が終わってからも、青年は今もなお人を愛し生かし続けている。
***
まるで一つの壮大な物語を継がせるような話が目の前の人物の口から語り終わると同時、少年は身も心も文字通り震え上がらせていた。正確に表現すれば、目の前の人物の唇から彼と兵士とが向き合う場面が紡がれた時から、戦慄が走っていた。
敵対していたとしても、自分の命を犠牲にしてまで、人を生かす姿。
それこそ、少年が求めていた英雄像――否、少年が求めていた以上の英雄像だった。
少年の中に、今まで空想し続けて来た英雄の姿が浮かび上がる。自分が思い浮かぶ英雄の姿こそ、理想であり、至高。これまでは、そう信じてやまなかった。
しかし、人として到底達することが出来ない領域にいる彼の姿を見聞きすれば、少年が思う英雄の姿はどこか足りなく幼いように思えた。
彼は、自分の命を奪う相手を前にしても、神に祈り求めた。
彼は、自分の命を奪う相手を前にしても、その人の人生を顧みて泣いた。
彼は、自分の命を奪う相手を前にしても、武器を手放してその人を抱きしめた。
戦時中においても、彼は一人として命を奪うことなく、愛一つで戦場から生還した。
彼の英雄然とした生き姿は、その瞬間だけではない。
戦争から生きて帰った後も、天啓に従って、多くの人を死から生へと引っ張った。時には運命を呪いたくなるような出来事が襲い掛かったとしても、それでも天の声に従って道を進んだ。常人では耐え切れない孤独に苛まれても、天地を愛した。
分け隔てなく人に接し愛を施す姿――、それは。
『主は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた」(エレミヤ書31:3)』
聖句の中にある通り、まさしく預言された全世界が求めている救い主、神様の愛の姿だ。
だけど、少年にとって、聖書だ聖句だという根拠は関係なかった。最も衝撃を受けたのは、彼の生き様そのものなのだから。
これまでの間、掻い摘んでではあるものの、彼の歩んだ人生については何度か聞いていた。その時の彼に対する少年の認識は、聖書を嚙み砕いて教えてくれる牧師さん、といったくらいのものだった。
しかし、彼の人を愛する姿を見て、ただの牧師ではなく自分に最も近しい英雄という認識に覆る。
彼――チョンミョンソク牧師は、理想の英雄、そして真の英雄だ。
頭の中に強く響き渡るたったの一言が、根拠であり、答えだった。
これが、少年が初めて本物の英雄に出会い、人生が覆された瞬間だ。
彼の人生について聞き終えた後、誰が何の話をしたのかは憶えていないが、彼に関する話と天地震わすような衝撃を受けたこの瞬間は、いつ何時振り返っても忘れられない。指先一つの感覚さえも、仔細に思い返すことだって出来る。
それほどまでに、彼の生き様を言葉として聞いた時の内なる機微は、初めての感覚だった。
朧気で曖昧で誰の目にも入らないような何の変哲もない自分という存在全てを、理解して受け入れてくれるようでありながらも、今までの自分が構築して来た全てを覆してしまうような、今後の人生でも二度と出会えるか分からない体験だった。
言葉にしてしまえば、相反するような表現に見えるが、どこにも矛盾することのない――、まるで緻密に張り巡らされた伏線を丁寧に解いていく至高の物語だ。
魂を震わせる衝撃は、この肉体で生を刻んでいる間も、死して霊となってからも、なお拭えない。
そして、最も驚くべきところは、理想を超えた英雄が、路傍の石のように何の変哲もない少年に対しても、一人の人間として接しているというところだ。
たとえば王と配下が容易に関わることが出来ないように、自分よりも立場や存在が大きければ大きいほど、距離は離れて見向きもされなくなるのが世の常だ。
しかし、彼は違った。
呼べば応える、と言い放つ。
あなた一人が大切だ、と断言する。
彼は英雄のように手の届かない高く遠い存在だというのに、一人ひとりのことを分かって、受け入れてくれている。
たった一人のために祈り、たった一人に向けて涙を流し、たった一人と笑い語らい、たった一人を愛で包んでくれる。たとえ敵対していたとしても、悔い改めて翻るならば、躊躇いもなく大きな愛を施す。
特筆した個性もなく、いわゆる日陰に身を潜めるような小さい人に対しても、彼の行ないは変わらない。
どうして普通の人がそこまで出来るだろうか。
彼の心を知り、彼の生を知れば知るほどに、彼が人生をかけて学んだものが人智を超越した神だということは明白になっていく。
どんなに時間を重ね、幾つもの季節が過ぎたとしても、英雄に出会った奇跡は薄れない。誰にも穢すことは出来ない。
記された記録と焼き付けた記憶を思い起こすだけで、いつでもあの時のように鼓動が動き出し、まだやれると心が奮え上がり、いてもたってもいられなくなる。
現実が理想を超えたという原点がある限り、想いは揺らがないだろう。
少年は、子供だった。いつまでも心の中で別の世界を作り出して浸る、いわゆる中二病と称すべき子供だ。
そんな少年には、密かな夢があった。
いつか心の中に描いている世界を、何らかの形で表現して、誰かに寄り添えるような物語を作る。その物語では、ずっと思い続けて来た英雄が、世界を救う。
それが夢だった。
しかし、今。
少年の夢は、少しだけ変わった。心に浮かぶ何かを表現する、という根本は変わらないけれど、その目的が変わったと称すべきだろうか。
本物の英雄との出会いによって世界観が覆った少年が、もしも夢を実現させて彼のことを文章を通じて世界に伝えることが出来るなら、最初の一筆はこう書き綴ると心に決めた。
『英雄はいる。――この現実の中に』、と。
〈-Fin-〉
※参考文献:『戦争は残忍だった 愛と平和だ1(著 鄭明析)』
※小説としての構想上、一部時系列が異なる点がありますが、いずれも事実であることに変わりありません。
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