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[小説]月と鼈④

月と鼈①

月と鼈②

月と鼈③

 ***

 身も心も溶かすような暑い暑い夏の日、汗が滴り落ちるのを気にすることもなく、私は目的地に向かって走っていた。

 あまりにも楽しみ過ぎて約束の時間の十五分前には到着するように家を出たのに、「やっぱりなぁ」と駅前に立つ一人の女性の姿を目視すると、私の口は自然と緩んだ。そして、一刻も早く言葉を交わしたくて、私の足の回転は少しだけ早くなった。

 近付く私を察したのか、スマホに視線を落としていた彼女も顔を上げて、「来萌」と満面の笑みを見せながら手を振ってくれた。

「カリン先輩」

 まるで恋い慕う飼い主に尻尾を振る愛犬のように、私も大きく手を振り返した。

 夏休みに入る直前の休日となる今日、私は一つ年上の藤堂花鈴先輩と遊ぶ約束を交わしていた。

 カリン先輩と初めて出逢ったのは、生徒会室でのことだった。当時の一年三組のクラス委員長を任された私は、何かの書類を渡すために生徒会室を訪れた。生徒会室の中にいたのは、その時の生徒会副会長だったカリン先輩だった。

 私から書類を受け取ったカリン先輩は、その場で目を通すと、「ここ、間違ってるよ」とあっさり教えてくれた。私は何が間違ってるのか分からなくて戸惑ってしまった。そんな私を冷たくあしらって放置するのではなく、私が分かり易いように教えてくれた。
 教えてもらいながらも雑談を交わしていくことによって、カリン先輩と私の仲はだんだんと深まった。

 生徒会役員をやっているもののカリン先輩は窮屈に感じていることや、自分が生徒会長になったら学校の雰囲気を変えてみたいと思っていること、最近起こった下らない出来事など、カリン先輩の口は止まらなかった。

 私はすぐにカリン先輩の人柄が好きになった。でも、カリン先輩の一番好きなところは、

「うん、これで間違いなし。お疲れ様」

 人に一から教えるという行為は疲れるはずなのに、まるで当然のことをしたと言わんばかりに私を労ってくれた。
 こういう人に優しいのに念頭に出さないところに、私は一番惹かれた。

「ありがとうございました。すごく助かりました」
「分からないことがあったら何でも聞いていいよ。私で良かったらいつでも教えるから」

 帰り際にそう言ってくれたカリン先輩の言葉を私は鵜呑みにして、この日から何度もカリン先輩がいる生徒会室に足を運ぶようになった。そして、次第にカリン先輩と先輩後輩以上に仲が良くなり、連絡先を交換して休日にまで遊ぶようになった。カリン先輩が在学していた二年間はもちろん、カリン先輩が卒業してからも、この関係性は続いている。

「へー、やっぱ大学生にもなると色んなお店に行くんですね」

 カリン先輩と買い物を終えると、私たちはオシャレな飲食店でランチを取ることにした。カリン先輩が一度大学の友達と来た事があって美味しかったから、と私に紹介してくれたお店だ。まだかりん先輩が高校生だった時にファミレスのドリンクバーで何時間も無駄話をしていたことを、少しだけ懐かしく感じられる。

 カリン先輩は何でもないように「たまにだけだよ、たまに」と水を呑んだ。そして、グラスを机に置くと、

「そういえば、前に会ったのはゴールデンウィークだっけ。どう? 変わりなくやってる?」

 改まって私に質問を投げかけた。

 ランチをするまで三時間くらい一緒に買い物をしていたが、目に映るものに話題の焦点を当てていたため、お互いの近況を話すようなことはしていなかった。

 カリン先輩の言葉に私の脳は無意識レベルで瑠々奈のことを思い浮かべた。ここ数か月で変わった出来事といえば、瑠々奈のこと以外は何もない。

 けれど、瑠々奈のことを言えば、私はきっと愚痴を漏らしてしまうだろう。せっかくの楽しい会を、不満によって台無しにしたくない。
 ここは無難に答えよう、私はコンマ数秒でそう判断した。

「んー、変わりなく、かぁ。うん、やってるよ」
「その様子だと何かあったの?」

 しかし、私が一瞬言い淀んだことから、カリン先輩は敏感に悟ってしまったようだ。

 カリン先輩は昔から洞察力に長けている。生徒会副会長という立場から生徒会長という立場になった時も、カリン先輩はその洞察力でもって私たちの高校をまとめていった。
 一度気付かれてしまったからには、カリン先輩に隠し事は通じない。

「えっと、一か月前にうちのクラスに転入生が来たんですけど――」

 私は堪忍するように、円谷瑠々奈と出逢ってから今までに至ることを話し始めた。

 瑠々奈がお嬢様校出身で世間知らずなところ、自分ルールが強いところ、いつまでも私たちの女子高のルールに適応しようとしないところ――、などなど瑠々奈について気になっているところを列挙していった。

 やはりというべきか、私は瑠々奈に対してストレスを抱いていて、箍が外れたように文句が飛び出していく。
 その一方で、たったこれだけのことで不満を感じているのか、と客観的に分析する私がいた。

「とにかくっ」

 私は今しがた抱いた考えを自分自身で否定したくて、わざと声を張った。

「結局はそいつの頭が固すぎるんです」
「……そっか。その子と来萌は全然違うタイプなんだね」

 私の話を総じてくれたカリン先輩に、「そう、そうなんですよ」と身を乗り出さんばかりの勢いで首を縦に振る。

「私とそいつは住む世界が違い過ぎるんですよ。だから仲良くなれないのは当然の――」
「来萌と私は同じレベルだから仲良いもんね」

 カリン先輩の声色の冷たさに、私は反射的に言葉を止めてしまった。カリン先輩に目を向ける。口角を上げているのに、その目は一切笑っていなかった。

 私の中で藤堂花鈴先輩は、どんな時も優しく受け止めてくれる頼りになるお姉ちゃん的存在だ。けれど、初めて目にするカリン先輩は、まるで異なる世界に行ってしまったかのように別人となっている。

 この先カリン先輩が何を言おうとしているのか、全く読めない。

「趣味も同じで、学力も同じで、私が考えることだって来萌と同じレベルで――」
「違います!」

 指折って列挙していく先輩の言葉を、私はすぐに遮った。カリン先輩が私の目を真っ直ぐに見つめた。

「先輩と私が同じだなんてあり得ません! 先輩はリーダーシップがあるし、冷静に周りを見てるし、聞き上手だし、多趣味だし、そもそも私なんかと頭の出来が全然違います! だから、私はカリン先輩を尊敬して、こうして一緒にいたいと思えるんです!」
「分かってるじゃん」
「え?」
「互いに違うところがあっても好きになれるんだよ。もちろん共通点があれば話が弾んだり、負担が少ないっていうのは前提としてあるけどね」

 私を諭すように柔らかな声音でカリン先輩が言った。

「だからね、来萌。相手と住む世界が違うからと言って、シャットアウトしたら何も出来ないよ。確かに人にはそれぞれ住む世界があるけど、だからこそ一歩近付いて、知る努力をしないと」
「……知る努力」

 この一か月で私は瑠々奈のことをどれだけ知ることが出来ただろう。
 円谷瑠々奈という人間を、私は何も知らない。
 カリン先輩のおかげで、私はすごく傲慢で嫌な奴になっていたことに気付かせてもらった。

「お待たせしました、本日の日替わりパスタです」

 静まり返った私たちのテーブルに、まるで何事もなかったかのように店員がパスタを置いた。

「あ、ちょうど来たね。食べよっか」

 そして、カリン先輩も先ほどまでの出来事が嘘のようにご飯を食べ始める。

「う、うん」

 カリン先輩に倣って、パスタが冷めない内に私も食べることにした。パスタを口に含んだ瞬間、「え、美味っ」とつい口から声が漏れた。「でしょ」と、カリン先輩はピースサインを作った。

 それから私たちは他愛のないことを話しては笑い合った。
 時間は本当にあっという間に過ぎていて、気付けば二時間近くもお店で話し合っていた。

「んー、美味しかった」

 お店を出るや、カリン先輩は大きく背筋を伸ばした。太陽を一身に浴びるカリン先輩は本当に心地よさそうだ。私も伸びをすると、新鮮な空気が体の中に入って来た。こんなに体の中で空気を感じたのは久し振りかもしれない。

「じゃあ、来萌。また夏休みになったら遊ぼう」
「はい。って言っても、一応私受験生なんですけど」
「あはは、来萌なら大丈夫でしょ。まぁ、もし本当に煮詰まったら、いつでも私に聞きに来てよ」
「今の言葉忘れませんからね」

 カリン先輩の教え方は分かり易いから、正直ありがたい話だ。カリン先輩から言質を取れたところで、「じゃあ、また」と私は帰路に着くことにした。カリン先輩はこの後も約束があるらしい。

「あ、待って、来萌」

 一歩踏み出そうとした時、カリン先輩から呼び止められた。「はい?」と私は振り返る。

「さっきの転入生の話。相手を理解するためには、互いに心を開けることが大事だよ。そのためには、何でもない時間を一緒に過ごしてみないと」

 カリン先輩はにっこりと笑みを浮かべ、「って先輩は思うな」と茶目っ気溢れるように言った。
 卒業したのにここまで面倒見てくれる人がいるということが、どれほどありがたいことだろう。

「はい」

 力強く返事をすると、そのまま家に向かい始めた。

 そして、帰宅の途中、私は往来に佇む瑠々奈の姿を見てしまった。

<――⑤へ続く>

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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