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[小説]素顔を晒して⑤

素顔を晒して①

素顔を晒して②

素顔を晒して③

・素顔を晒して④

 ***

「ここが神殿の最奥だよ」

 神殿の奥に位置する祭壇は、人智を超越したような空気が流れる不思議で静謐とした空間だった。訪れてまだ数十秒も経っていないというのに、私はこの場所に意識を持っていかれていた。
 確かにここでなら何が起きても納得が出来てしまう。

「……すごい」

 月並みな感想が私の口から漏れ出してしまう。

 樹海で目が覚めてから禁忌とされる神殿の最奥まで、こうして五体無事に辿り着けるようになるとは思わなかった。
 特に、デイジーさんの元から離れてからこの国の住民に襲われた時は、命が潰えることさえも覚悟していた。

 けれど、全てを諦めたその時に、デイジーさんが私の前に現れた。

 コンマ数秒でもデイジーさんが駆け付けてくれるのが遅かったなら、獰猛な爪によって私は切り裂かれていた――、それくらい切羽詰まった状況だった。
 突然のデイジーさんの声に動揺した住民たちは、一瞬何が起こったのか理解出来ないように、動くことが出来なかった。

 その僅かな隙をついて、デイジーさんは私の手首を掴んで、その場から連れ去ってくれた。
 まるでずっと恋焦がれていた物語のヒロインになったような気分だった。

 今度こそはデイジーさんの背中だけを見つめながら、往来を駆け抜けて神殿の前まで来た。デイジーさんの手の力が弱まりかけたことを、手のひらでハッキリと感じ取った私は、ギュッと力を籠めた。弱く離れそうになっていたデイジーさんの手は強さを取り戻し、更に神殿の最奥まで進むこととなった。

 言葉はいらなかった。デイジーさんの優しさも、私の言いたいことも、全てこの手のひらを通じて感じ合えていた。

 紆余曲折を経ながら、ようやく辿り着いた神殿の最奥。ここから私は現世に帰ることが出来る。
 この世界に来てから、たったの三日ほどしか経っていない。けれど、それ以上の時間の経過を私は身に感じていた。

 少しだけそう感慨に浸っていると、

「……ぁ」

 私達を繋いでいた手が、名残惜しそうに緩やかに離された。

 背中だけを見つめていたデイジーさんが、私の方を向く。
 包帯の奥を想像して、私は一度デイジーさんのことを裏切ってしまった。けれど、今はもう恐怖を感じることはない。

 私達は真っ直ぐに向き合い、

「キヨミが帰るための手順は、ここにある」

 そう言い放ったデイジーさんは、自身に手を添えていた。「ここ?」、私は首を傾げた。

「ここで目が覚めて以来初めて戻って来て、思い出したことがある。この包帯に、異世界へと転移させる方法――、つまりキヨミを戻らせるための方法が全て書かれているんだ」
「包帯の裏に文字が隠されている?」

 デイジーさんは首を縦に振った。

「だけど、僕も実際に試すのは初めてだ。成功するか失敗するか、正直なところ分からない。……それでも、僕のことを信じてくれる?」
「もちろんです」

 私に迷いはなかった。

 一度裏切ったくせにどの口が言えるんだ、という指摘は拭えないけれど、私はもうデイジーさんを信じると決めた。

 一度失ったはずの命だ。仮に戻れず、異空間に飛ばされたとしても後悔はない。

 私の覚悟を見たデイジーさんは、包帯の奥で確かに柔らかな微笑を浮かべた。

「あと、もう一つ大事なことを確認したい」
「なんでしょう?」
「包帯に記されているということは、包帯を解かないといけないということだ。そして、包帯を解くということは、その……」

 いつも堂々としていたデイジーさんの声に、少しだけ躊躇いが生じた。デイジーさんが言いたいことは全て察することが出来た。
 この人はどこまで優しいのだろう。

「大丈夫」

 誰よりも優しいのに、誰よりも傷付いて来たデイジーさんを喜ばせてあげたい。

「どんな姿でも、私はデイジーさんを信じています」

 本心からの言葉を、私はデイジーさんに伝えた。

「ありがとう」

 包帯の奥で、息が漏れる音が聞こえた。同時、デイジーさんは包帯に手を掛けて、解いていく。

 幾重にも巻かれた包帯は、まさに自身を守るための防護服のようだ。

 一度は向き合うことを拒むほどに恐怖した、デイジーさんの素顔。その顔が明らかにされようとしているのに、不思議と恐怖心はどこにもなかった。

 全ては私が生んだ妄想が、勝手に恐怖心を助長させただけだ。勝手に想像して、勝手に判断して、勝手に見限ることは、自分本位でしかない。

 包帯を取った先にいたのは――、

「……私?」

 私の姿だった。ここ数日見ることはなかったけれど、私の顔を見間違えるはずがない。

「ううん、違う」

 デイジーさんは、私じゃない。
 鏡のように透き通った瞳にいの一番に惹かれてしまって、私だと勘違いしてしまった。けれど、視点を変えると、目鼻口が整った美丈夫がそこにいる。特徴的な瞳を除けば、デイジーさんの顔は、人間と同じだった。

 だけど、どうしてだろう。

 デイジーさんと向き合っていると、私は自分自身に向き合わされているような錯覚に陥る。

「……そうか」

 包帯に視線を落としていたデイジーさんは、そこに記されていた異世界へと転じるための方法を解き終えたようだ。

「別の世界に行くための方法は、真実な自分と対峙すること」
「え?」
「この世界では稀有な自身を写し出すものと向き合うことで、別の世界へと誘うことが出来る、とここには綴られている。つまり、キヨミの世界でいう鏡と向き合うことが必要なんだ」

 禁忌を犯してまで他の世界に行きたい輩などいない。この禁忌は、この世界の住民を恐れ忌ましめるためのものであると同時、私みたいに迷い込んだ者に向けて与えられた救いのメッセージだ。

 そもそも、この世界には鏡という存在はなかった。鏡のように自身を写し出すことが出来るのは、唯一デイジーさんの瞳のみ。
 初めから、デイジーさんという存在が必要不可欠だった。

「ここは、自身すらも信じられなくなった者が訪れる場所。周りに惑わされず、己を信じ直せば、再び世界は交わる。……読んでみたけど、ここの部分は僕には理解が出来ないな」

 包帯に綴られている言葉を、デイジーさんが更に読み上げることで、確信に変わる。
 世界の成り立ちまでは分からないけれど、この世界は、私のために存在している世界だ。

 私はこの世界に来る前の自分を思う。

 空想世界に恋焦がれるがあまり、私は誰のことも心から信じることが出来なかった。そして、そんな自分が私は嫌だった。
 それが、どれだけ自分自身を浅ましくさせていたのか、この世界で過ごした今なら痛切に分かる。

 今はもう、心で向き合うことの大切さを知った。

 元の世界に戻った時、私は堂々と向き合うことが出来る。人にだって、自分にだって。

 たったそれだけを認めるために、私はここに訪れた。

「デイジーさん、ありがとうございました」

 私は大きな挙動で頭を下げた。この感謝の思いが、全部伝わるように。

 デイジーさんは整った容姿で、柔らかな笑みを浮かべた。

「お礼を言うのは僕の方だ。キヨミのおかげで、僕の存在理由を果たすことが出来た」

 その一言で、どれだけデイジーさんが苦痛な目を受けて来たのかを察した。あえて言及することはしない。

 デイジーさんの想いを果たすことが出来たのは、私でよかった。

 そう心に抱きながら、私はデイジーさんを見つめる。
 時が止まっているかのようだった。

「触れて」

 そして、全てに終始封を打つために、デイジーさんが優しく包み込むような声音で甘く発した。
 全ての意図を察している私は、手を伸ばす。デイジーさんの瞳に映る私も、手を伸ばしている。その顔に迷いはない。

 手を伸ばして、指先に確かに触れ合った感覚が残ると――。

 ――目が覚めたら、そこはいつもの日常でした。

<――終わり>

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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