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[小説]『竜のいない世界』②

『竜のいない世界』①

 ***

 竜のいるこの世界に生きる人間には、守るべき暗黙のルールが二つある。

 地を歩く竜がいる町に留まることは、出来るだけ避ける。空を舞う竜が見えなくなる夜は、出来るだけ外を歩かない。

 だから、私は今まで夜というものに直に触れたことがなかった。

 竜に一矢報いたいと願うけれど、今の私にはまだそう出来る実力もない。もしも夜に外に出てしまい、闇の中から竜に奇襲されるようなことがあれば、一巻の終わりだ。それだけは避けたくて、私はこの二つのルールだけは守り続けて来た。
 私とは多少の理由は異なるけれど、この世界に住む人々は、誰もがルールを守って来ている。

 なのに、今の私は――。

「馬鹿ケッキーめ」

 停留所を飛び出したケッキーを追いかけるように、夜の世界に飛び出していた。

 先ほど空腹を覚えて停留所に戻った時、勢いよく駆け出す人影とすれ違った。「……ケッキー?」、その人影がケッキーであることは、すぐに分かった。この時にケッキーの肩を掴むなり、ケッキーの後を追いかけるなり、とにかく私はケッキーのための行動を取るべきだった。
 しかし、咄嗟のことにそこまで考えが浮かばなかった私は、深く理由を追求することなく、停留所でご飯を食べることにした。いつもなら和やかな雰囲気でご飯を食べているはずなのに、ケッキーを除いた八人は重い表情で俯いているところだった。

「なにがあったの?」
「……ケッキーが」

 彼らの話を簡単にまとめると、ケッキーが提示した今後の方針に反対したところ、ケッキーが飛び出したらしい。いつも皆のことを第一優先に考えているケッキーからしたら、まさしく裏切られたような気分になったことだろう。
 ケッキーを追いかけようとしていた皆だったが、夜に外へと出ることを恐れて、こうして重い表情しか出来なかった。

「私に任せて」

 世間の平均よりは夜を恐れていない私は、ケッキーを追うことにした。
 しかし、走れども走れども、ケッキーの影すらも捉えることは出来ない。早くケッキーを見つけなければ、ケッキーが竜にやられてしまうかもしれない。いや、私が命を落としている可能性もある。最も迎えてはいけない展開は、ケッキーも私も竜にやられることだ。
 それほどまでに夜は恐ろしい状況だ。そう、教わっている。

「竜に逆らうなとかルールを守れとか私には言っておいて、まとめ役のあんたが破ってどうするのよ」

 ケッキーのためにとにかく走り続けた結果、体力も尽きかけて来た。停留所を出て、私は初めて足を止め、呼吸を整えた。

 ここで私は、

「――」

 初めて空を見た。否、見てしまった。

 頭上に広がるのは、煌々と輝く星と月。ただそれだけしか、私の目には入らない。実際に空を舞っていることは分かっているけれど、その体躯が漆黒のように黒いということもあって、闇夜に溶け込んで見ることは叶わない。

 人間の力では絶対に作ることが出来ない圧倒的な自然の傑作を前に、私はちっぽけな存在であることを突きつけられると同時、私がこの世界で唯一無二のかけがえのない存在であると誇れるような、そんな矛盾した感覚が私の心を刺激する。

 これだ。私が願っている『竜のいない世界』は、まさしくこれだ。
 あまりの感動に、私の視線は空に釘付けになってしまった。

 しかし、そんな単純に美しい景色も、突然終焉を迎える。

「な、なにっ?」

 煌々と輝く夜空の色を奪うような光が、空一帯を覆い始めた。
 そして光が弾け、目に見える範囲で地上一帯に降り注がれる。

「竜? 何をした?」

 あの一瞬、竜の口から吐き出された光源が爆ぜたことを、確かに私は見た。いつもの竜の生態のようにも見えるけど、今ほどには光を放っていない。

 昼だけでなく、夜も竜はこの世界を我が物顔で支配して生きていたのだ。

 これは、分からない。

「のうのうと停留所の中に隠れていたら、絶対に……っ」

 体力がなくなりつつあることなんて忘れるくらいに、私は衝動のまま走り始めていた。

 早くケッキーを探さなければ――、否、嘘だ。私は光源の正体を知ることだけに夢中になっていた。光源を追いかける先に、ケッキーがいれば、今日の私はツイている。

 ずっとずっと竜について知りたかった。
 長らく竜にこの世界を支配されているくせに、竜の生態について記された書物がないことは、あまりにも異質だ。
 もし、竜から吐き出された光源を見つけることが出来れば、竜に一矢報いるという私の夢に一歩近付けるかもしれない。

 地を蹴る足が、自然と強くなっていた。知りたい、という好奇心は、もはや私にも止められない。

「――っ」

 もう少しで光源の落ちた先だと思われる場所に辿り着くや、私は思い切り急ブレーキした。

 何故なら、目の前には暗闇に溶け込む人型の影があったから。

 私に背を向けているせいで、その影の持ち主は分からなかった。ただただ静かに佇んで、虚空を見つめていることが、やけに不気味だった。

 地の竜か、それとも――、

「……ケッキー?」

 私は一縷の望みに賭けることにした。

 元々私はケッキーを探すために、この夜を走り抜けていたのだ。もしも前にいる影が、ケッキーだったら、ケッキーと一緒に光源の正体を確かめに行こう。

 私の震える声に、影が振り返る。月明かりに照らされた影は、確かにケッキーだった。

 ここで私は安心出来るはずだった。

「うご、ご、ごぁ……っ」

 ……口の中をこじ開けて体内に潜ろうとする白い蛇がいなければ。

 ケッキーは体内に潜り込もうとする蛇を拒もうと喉元に手を当てているが、細長い蛇には無意味だった。僅かな隙を狙って、蛇はどんどんとケッキーの体内に入り込んでいく。

 何が起こっているんだろう。分からなかった。

 ケッキーを助けなければ。いや、それよりも、ここから逃げなければ、私まで蛇にやられるかも。でも、最後まで見届ければ、この世界の秘密を知ることが出来るかもしれない。だめ、それは人として最低すぎる。あ、蛇の体がほとんどケッキーの中に入っていく。どうしよう、どうしよう。どうしよう。

 次から次へと思考が浮かんでくるも、全て意味を持たなかった。目の前の残酷な現実に、心が追いつかなかった。
 助けることも、逃げることも出来ず、茫然と立ち尽くすだけ。
 どれだけの間、私はここに立っていたのだろう。ケッキーが倒れた音で、私は現実に戻ることが出来た。

「け、ケッキー……」

 倒れるケッキーの名前を呼ぶも、当然ケッキーから反応は返って来ない。ケッキーがどうなったのか、間近に寄って確認しなければ。私はようやく行動を始める決意をした。

「っ」

 しかし、私の判断はあまりにも遅かった。

 私が立ち尽くしている間に、足元に身を寄せる白い蛇の存在に私は気付くことが出来ていなかった。気付いた瞬間には、私の首元まで到達していた蛇は、私の口の中にするりと入り込んでしまった。

「う、うぇ、え……っ」

 ここから想定できる未来は、たった一つ。
 先ほど目の当たりにしたばかりのケッキーと同じ末路を辿ることになる。

「ぅわ、う、ぇ、ぉえ……っ」

 世界が隠し続ける秘密に触れるためには、命を賭ける覚悟が必要だ。
 禁忌に触れた瞬間、命は脅かされてしまうからだ。

 だからこそ、誰の目に触れることもなく、世界は世界の秘密を保ち続けることが出来るのからだ。

 私は、その危険性を少しだけ甘く見てしまっていた。

<――③へ続く>

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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