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[小説]光出づる小さき国①

 ***

『小さき場所から平和への兆しが出づる。
 兆しは光、光は闇のしがらみを解き放つ。
 しかし、その光は当の光さえも分からず。
 もたらされる災禍を贖うは、三回りした後。
 その後、針が動くよりも遅き速さで、世界に光がもたらされる』

 それが、関心を抱かなければ誰からも存在を認知されないほど小さき国である、チナエルに三百年伝わる伝説だ。

 チナエルは、人口も少なく、物資も少なく、領土も一望できる範囲だけと狭く、それ故に貧困が蔓延している国だった。
 しかし、それでも国民の表情に翳りは見えなかった。
 それは国民がいつか伝説が成就すると、心の中で希望を抱いているから。――という理由一つだけではなかった。

 確かに伝説が成されて、常に満たされる世界が訪れれば、幸せに苦労なく生きることも出来るだろう。しかし、伝説が宣布されてから、すでに三百年。ずっと待ち続けるには、骨身も折れる頃合いだ。机上の空論だけでは、人々の心に灯をくべ続けるのは難しい。
 現在のチナエルの国民の支えになっているもの一つとして、毎日絶えることのない行列が挙げられるだろう。

 チナエルで暮らす少年ポルタも、行列に並びながら、いつ自分の番が来るのかと嬉々として待っていた。その小さな両の手の中には、子供が持つには少しだけ大きく思われる器が、宝物のように抱えられていた。

 列の先頭から一人、また一人と離れていく。皆、満たされた表情を浮かべていた。その顔を見る度、他人のことなのにポルタも胸が満たされた。

 そして、とうとう自分の番まで迫ると――

「フォン爺、炊き出しください!」

 ポルタは嬉々と手に持っていた器を差し出した。「はいよ」と、ポルタから器を受け取ったのは、フォンという老人だ。フォンとポルタの間には、いい香りを放つ鍋がある。

 そう。この行列の正体は、フォンが個人的な趣味で行なっている炊き出しだった。

 資源も少ないチナエルで、フォンは毎日食材を持ち寄って、炊き出しの鍋を振る舞っていた。フォンによる炊き出しは、基本的に器を持参した者が対象だ。器を持って来た者に無償で温かな食事を与えるようにしているが、もちろん、仮に器を持って来なかったとしても、量を少なめにして炊き出しを振る舞っている。

 とは言え、フォンが炊き出しを振る舞うようになってから、十年が経とうとしていた。チナエルで暮らす者ならば、器を持っていない者は本当にごく稀だ。

「いつも綺麗に器を使っているねぇ」

 大人の手には丁度いい大きさの器を見つめながら、フォンは言う。フォンの言葉に、ポルタは純粋な反応で、鼻の下を擦った。

「へへっ。フォン爺のご飯は美味しいから、しっかり食べたいのさ」
「嬉しいことを言うね。今日は肉を一切れサービスしておいたよ」
「やったぁ」

 肉を多めに振る舞ってもらえる日は何か良い出来事が起こるというのが、チナエルの暗黙の了解だった。

 見てる者がつい微笑んでしまうくらい大きな挙動でフォンに礼を言ったポルタは、弾む足取りで家へと向かう。

「おーい、ポルタじゃないか」
「今日の炊き出しも、すごっく美味いぞ」
「本当に? 家帰ったらすぐ食べる!」
「おう。冷めないうちに食べなぁ」

 路上で炊き出しを食している人に声を掛けられながら、ポルタは家路を進む。

 フォンが振る舞う炊き出しを種にして話が弾むという光景は、もはや日常茶飯事だ。
 狭い国ゆえに互いに見知った仲ということもあるけれど、フォンの炊き出しを食べながら話をするおかげで、チナエルに住む国民はみな家族みたいなものだった。

 何もかも足りない国であるけれど、希望は潰えていなかった。

「う、美味っ!」

 家に帰ってフォンの炊き出しを口にしたポルタは、開口一番、料理への賛辞が口から漏れた。毎日同じ感想を口にしているけれど、フォンが作る炊き出しはまるで魔法が掛かったように美味しいのだから、仕方あるまい。そのまま炊き出しを食べていくが、口に運ぶ手は止まる由はなかった。

「今帰ったよ、ポル坊」
「オロ婆、おかえり」

 家の暖簾をまたいで来たのは、この町で占い師をしているオロだった。本来オロとポルタは血縁関係はないけれど、家族同然で一緒に暮らしていた。

 別の器に移し替えていた炊き出しをオロに渡す。

「あぁ、温まるねぇ」

 炊き出しを食べたオロは、その表情を綻ばせた。

 そして、暫くの間、二人は無言で炊き出しを食べた。会話という会話はなかったけれど、ポルタとオロは満たされていた。同じ空間で同じ食事を取るだけで、二人には十分だったのだ。

「ねぇねぇ、オロ婆。伝説が成されるのって、そろそろ?」

 ポルタが最後の一口をグイっと飲み干すと、オロに問いかけた。「まぁたその話かい」、とオロは呆れるように肩を竦めながら返事をする。

「だって、伝説を目の当たりにしたいんだもん。伝説がどう現実になるのか、俺は見てみたい」
「ひゃひゃひゃ。相も変わらず威勢がいいねぇ」
「笑い事じゃないって、オロ婆。俺は本気だぞ」
「悪かった悪かった」

 オロはポルタの頭に、ポンポンと軽く触れた。それこそ子供みたいな扱いだったけれど、ポルタは深く言及することはなかった。ここで反論したら、また話が進まなくなってしまうからだ。

「でも、すまないねぇ。ワシも詳しくは知らんのよ」
「オロ婆で知らなかったら、誰が伝説について語れるんだよ」
「ひゃひゃひゃ。占いは万能なんかじゃないからのう。そもそも、ワシだって又聞きしているだけじゃ」

 オロはチナエルにおいて現存している唯一の占い師――であるものの、伝説に関してはオロが言及したものではない。三百年前のオロの先祖が記した言葉を、先祖代々語り継いでいるだけだ。

 伝説を語り継ぐ使命はあるものの、オロ自身が信じているかはまた別物である。

「だけど、そんなワシにも一つ言えることがある」

 途端、真面目な声を発したオロに、ポルタは思わず背筋を伸ばした。

「たった五行の伝説に縛られる必要はない。ポル坊にはやるべきことがあるはずさ。その時はワシのことなど気にせず、やるべきことをやるんだよ」

 そう言うと、オロはまたポルタの頭を優しく撫でると、食べ終わった器を片付けに行った。
 一人になったポルタは、糸が切れた人形のようにその場で背中から倒れ込んだ。

「俺にやるべきことなんてない。この国でやれることなんて、何もないよ」

 前述の通り、チナエルは小さな国ゆえに何もない。国民の最優先事項も、命を生かすことだ。それ以外に出来ることは存在しなかった。

 だから、嘘か真かは分からない伝説に縋ることだけが、ポルタの生きる希望だった。

――②へ続く

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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