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[小説]つくる理由①

 ***

 嵐が通り過ぎたかのように無秩序に荒らされている自室のリビングを見た時、部屋の持ち主である奈地壱作はどこか他人事のように状況を捉えていた。

 奈地壱作と言えば、稀代のデザイナーとして世に名を馳せている人間で、半世紀の間でたくさんの作品を発表して来た。壱作が作り上げた作品は、人の生活に密着したインテリアとして広く愛され、壱作の顔は知らずとも、その作品を見ればすぐに壱作の名に至るほどだ。
 類稀なる才能によって、富と名誉も手に入れて、独りでは身に余るほどの豪邸と工房も得ることが出来た。

 しかし、壱作の豪邸のリビングも、今は何故か荒れている。珍しく壱作が用事で出掛けている合間の出来事だ、泥棒でも入ったのだろうか。

「……いや、前に戻っただけか」

 異常事態が発生しているはずの部屋であるにも関わらず、壱作はまるで日常を過ごしているかのように、ソファに腰を下ろした。

 壱作は天才デザイナーだ。人並外れた感性から生み出される作品だからこそ多くの人から関心を持たれているが、その私生活は自堕落そのものだった。

 つくることが生きることである壱作にとって、自分の生活は二の次だった。

 食事も栄養を度外視した空腹を満たすだけのもの、服も気温に適応するための最低限のもの、住まいも人から推し進められただけで拘りもない。壱作は固執しない性格をしていた。それ故、ゴミ屋敷そのものであった壱作の過去の部屋は、今の状況よりも酷かったかもしれない。

 そんな壱作の家が変化したのは、使用人であった難波幸音が原因だ。

「うえっ。なんすか、この部屋。人が住んでいい場所じゃありません。掃除しましょ、掃除」

 乱雑とした部屋にいると、壱作の脳裏に、初めて幸音がやって来た日のことを浮かび上がる。

 幸音は今時の若い者には珍しく、立場など関係なく自分の言いたいことを言うことの出来る不思議な女子だった。

 初めて会った日、壱作の家にインターホンが鳴り響いた。その時、壱作は作品を作り終えて、微睡みの世界に入り掛けているところだった。
 せっかく人が気持ちよく寝ていたというのに……、珍しく不満を抱えた壱作は、居留守をして迎え入れないことに決めた。どちらにせよ、作品づくりに没頭してしまえば、誰とも対面することはないのだ。居留守を決めたことは、必要最低限しか世に関わりたくないと思う壱作には必然のことだった。
 しかし、無視を決めたというのに、インターホンはもう一度鳴り響いた。いや、もう一度ではない。間延びしていたインターホンの音も、絶え間なく部屋に響くようになった。あまりの騒々しさに堪忍袋の緒が切れた壱作は、立ち上がり玄関に赴いた。

「うるさいっ!」

 思い切りドアを開けるや、壱作は声を荒げて言った。

「なんだ。やっぱいるじゃん、壱作さん」

 これが、奈地壱作と難波幸音のファーストコンタクトだった。

「ねぇ、部屋入れてよ」

 そして、家主の了承を得ることもなく、壱作が開けたドアの隙間から、ふてぶてしく幸音は家に敷地内へと入っていった。当たり前のように入る幸音に暫し動揺してしまったが、「おいおい、待たんか」と壱作は後を追った。

 壱作の工房に行くためには、家に入り、廊下を通り、リビングを抜け出して、窓から行く必要がある。住む場所に何も拘りを見せない壱作の、唯一意見を出したところだ。どうしても、工房だけは中心にしておきたかった。
 幸音の目的は分からないが、作家という壱作の立場上、目的地は工房と捉えるべきだろう。直感が強いのか、まるで事前に宝の地図を得ていたかのように、幸音の足取りには迷いがなかった。

 そして、無法地帯になったリビングに足を踏み入れた途端、「うえっ」と失礼極まりない言葉を吐いたのだった。
 それから宣言通りに壱作のリビングを片付けた。初対面で初めて部屋に入り込んだ人間に掃除をされることになるとは思ってもみなかったが、壱作は声を出すことを辞めた。

 芸術家というのは、物事の本質を見ることに長けている。壱作は物事だけでなく、人についてもすぐに見抜くことが出来た。

 難波幸音という人間は、何を言っても無駄なタイプ、それこそ我の道を進む作家タイプだ。

 だから、壱作は事が成されるがままに放っておいた。それどころか睡眠負債が溜まりに溜まっていた壱作は、そのまま眠ってしまった。我ながら不用心だと思う。けれど、大の大人ならまだしも小娘一人に何が出来るだろうか、という油断も少なからずあった。
 どれくらい眠っていたか分からない時間、壱作は熟睡していた。幸音が訪問したのは昼前だったが、時間は瞬く間に過ぎ、次に壱作が目を開けた時には窓の外が随分暗くなっていた。

 壱作の体も精神も、一気にパッと醒めた。
 目を開けた先に広がっていた景色が、壱作の知る部屋とは全く異なっていたからだ。足の踏み場もないほど乱雑とゴミが散らばっていた床は、光沢を放つほど綺麗になっていた。

「お、起きました?」

 壱作が目を覚ましたことに気が付いた幸音は、何故かラーメンを啜っていた。「冷蔵庫にラーメンなんかあったか?」、壱作の問いかけの何が面白いのか、幸音は腹を抱えて笑った。

「そんなのは壱作さんが一番ご存知っしょ。頑張った自分のご褒美に出前取ったんですよ」

 ここまで来たら、幸音の不遜な態度を一層のこと清々しいと思うようになっていた。

「ねぇ、壱作さん。私、役に立つでしょ?」
「……まぁ、そうだな」

 質問の意図を読めなかった壱作は、ひとまず適当に相槌を打った。壱作の返答に満足したのか、幸音は満面の笑みを浮かべた。

「でしょ。じゃあ、私のこと近くにおいてよ」

 意味の分からない台詞。しかし、その提案が幸音にとって嘘偽りで挙げられたものではないことは、すぐに分かった。
 何もない家に、人が一人増えようとも関係ない。むしろ、そうした方が、この豪邸も喜ぶかもしれない。

「いいぞ」

 だから、壱作はそう返事をしてしまった。

「ほんとに? やった、マジ嬉しい」

 純粋に喜んでいた幸音の顔を見ても、壱作は何も感じなかった。

 同居人や使用人が増えても、壱作がやるべきことは何一つ変わらない。ただただ創作に溺れていくだけだ。

「……そういえば、あいつは無事なのだろうか」

 ここまで追想して、ようやく壱作は幸音の安否を案じるようになった。

 幸音がいるかどうかは、いつも姿を見なくても気配で感じることが出来た。幸音の足音は煩く、幸音の声は壱作にとって心を乱す煩わしいものだった。けれど、あれほど煩く思っていた幸音は、いない。今日は家に来ない日だったのか、壱作は憶えていなかった。

 受け入れる受け入れないはおいて、気付けば幸音がいる――それが幸音と出会ってから壱作には当たり前のようになっていたからだ。

「ここにいないということは、工房か?」

 窓の外にある工房に目を向けると、壱作は重たい腰を上げた。

<――②へ続く>

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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