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近ければ近いほど人は無条件に信じるようになっている。
どうしてだろう。近かろうが遠かろうが、人間の本質は結局変わることはなく、ふとしたキッカケで裏切られるというのに。
その時に傷付いて辛くなるのは、不用心に信頼した自分だ。
「あー、負けた」
元恋人である亜美に振られた苛立ちをぶつけるように、通称ハピテリと呼ばれるアプリ『ハッピーテリトリー』に没頭していたが、何度も敗れることで苛立ちは更に募っていくだけだ。
「三か月前に改変してから面白くねぇな」
ここ数年で日本の若者の心を掴んだスマホゲームであるハピテリは、元々は自分の土地を開拓して自分の好きなアイテムで満たしていく、というのんびりライフを過ごせるようなゲームだった。自分の土地を作ったら、ゲーム内のアバターで堪能することが出来たり、また他のユーザーとコミュニケーションを取ることも出来る。
親しみやすさと便利さがハピテリのウリだった。なのに、大幅アップデートと称して、バトル要素が加えられた。アバターに武装させたり、相手の土地を攻めたりして、どんどん自分を強くさせていきランキング上位を目指せるような仕様になったのだ。
もちろん仕様だから、バトル要素をオフにして、従来のままのんびりライフを過ごすことも出来る。
しかし、コミュニケーションは共通であるため、バトル要素から始めた新参者がハピテリの民度を下げた。
のんびりライフだけを楽しみたかったユーザーは自然と離れていった。バトル系のゲームが好きではない亜美も、あっという間にハピテリをアンインストールしてしまった。
一度始めたら、とりあえず続けてしまう性格の俺は、未だに惰性でゲームをしている。ハピテリで繋がって仲が良くなった顔も知らないユーザーが、同じくまだ続けていることもあるかもしれない。
けれど、ずっと続けて来たのにも関わらず、俺の土地はほとんど残っていない。多くの敵に負け続け、奪われ続けて来た。
「そろそろ潮時かな」
そう呟いた時、俺のアカウントあてにメッセージが届いた。メッセージを開くと、ゲーム当初から仲良くしてもらっている『SRAY』だった。ちなみに、SRAYはバトル要素が追加されてからも順応しており、土地やアイテムが潤沢にある。
「SEYA、最近ログインが少ないけど、調子は大丈夫か?」
顔も見たことがなく、どこに住んでいるかも分からないSRAYの優しさが、会社にも恋人にも裏切られ続けている俺の胸に染みる。
社会には敵が多いけれど、ネットというものは実は一番ちょうどいい距離感にあるかもしれない。目に見えないなら裏切られる必要すらないのだ。
「ああ。でも、最近のハピテリについていけないから、そろそろ抜けようか迷ってるよ」
「なんだ、SEYAもか。ARMYもいなくなったし、古参がいなくなるのは寂しいな」
SRAYのチャットから亜美のアカウント名が出て来て、少しばかり胸が痛んだ。現実で亜美と俺が付き合っていたことさえも伝えていなかったのだから、仕方ないことだろう。
「やっぱどうしてもガチ勢には勝てないんだよな。レアアイテムも手に入れたけど、一度も活躍させてやれなかったし」
「レアアイテムって?」
「前回のガチャ限定のアイテムさ。強さは分からないけど、コンプ勢にはたまらない一品だと思う」
「へー。せっかくなら練習モードで試そうぜ。こっちでルーム作るからさ」
「さんきゅ」
言うや、SRAYからURLが送られて来た。亜美に振られた翌日に当たったから、全然試すことはなかった。対人戦で確かめられるなら、それほど嬉しいことはない。SRAYの優しさにありがたみを感じながら、俺はURLを開き、練習ルームに入った。
そこには、ガチガチに武装したSRAYのアバターがあった。
「SRAY? これ、練習だよな?」
そうチャットを送信した瞬間、画面上に『YOU LOSE』という文字がでかでかと表示された。そして、敗者の逃れられない運命として、俺のレアアイテムがSRAYに奪われた。
ここでようやく気付く。
SRAYから送られて来たURLは、練習モードのものではなく、負けたら一巻の終わりの実践そのものだった。
「SRAY、俺を騙したのか?」
震える指でチャットを送る。
「SEYAが持っていたって、宝の持ち腐れだろ? だから、俺が有効活用してやるのさ」
「だからって、こんなやりk」
「ぐばい」
今までのやり取りなんて何もなかったかのように無機質な三文字が送られてくると、俺の画面からSRAYのアバターが消えた。SRAYのアカウントをチェックすると、一方的にブロックされていることが分かった。
「なんで、だよ」
騙し打ちのような形じゃなくて、ちゃんと交渉してくれたなら、俺はSRAYにレアアイテムを上げた。『ハッピーテリトリー』がリリースされてから、SRAYとはずっと仲良くしていたからだ。
ログインすればSRAYがいて、ノンビリしたゲームの中で他愛のないチャットを繰り返し送り合った。バトル要素が追加されてからも、その関係性は変わらなかったはずだ。
顔を見たこともないけれど、俺はSRAYのことを友達だと思っていた。
なのに、こんな形で裏切られるようになるとは思わなかった。
アプリを辞めようと思っていたのだから上手く割り切れば良い。そう誰かに一蹴されそうだけど、そうじゃない。そういう話じゃなくて。
「……心の問題、なんだよ」
スマホをベッドに投げると、そのままスマホを追いかけるようにベッドにダイブする。
仕事を失い、恋人を失い、熱中していたゲームとその仲間を失った今、俺に何が残るのだろう。
ここ最近、急速な勢いで俺の寄り術がなくなっている。心の支えがなくなると、精神的に不安定になる。
「誠也」
突然ノックもなく部屋の扉が開かれた。扉を開けたのは、母さんだった。
「なに、母さん」
誰とも話したくなかったけれど、なけなしの気力を振り絞って、枕に顔を埋めたまま必要最低限の声を出す。
「最近のあんた、部屋に閉じ籠ったままじゃないか。それに仕事もせず、お金を振り込みもしない。悪いけどニートを養う余裕はないんだ。早く出ていきな」
突拍子もない言葉に、俺は思い切り体を起こす。母さんの目は真剣そのものだった。
どうやら俺は更に家まで失ってしまうようだ。
身内さえも信じられないこの敵だらけの社会の中で、俺はどうやって生きていけばいいのだろう。
ようやく自分が窮地に立たされていることを悟った。
<――④へ続く>
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