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これまで奈地壱作は、自分が好きなように生きて来た。
周りに足踏みを揃えることはせず、自分が好きなように創作をし、自分が好きな作品を世に生み出し続けて来た。
その結果として、世の人とは異なるデザインを作るデザイナーとして名を馳せるようになり、周りからも世と一線を画した奇才な人間として認められるようになった。
しかし、それゆえ壱作は人との関わり方が分からなかった。
人の気持ちを察して、寄り添うように生きる。そんな生き方は壱作にとって面倒極まりなかった。
人と一から丁寧に向き合って生きるよりも、自分一人でやった方があからさまに効率が良い。もしも費やしたにも関わらず、裏切られてしまったなら、どれほど虚しいだろうか。
そんな風に生きて来た壱作だから、年甲斐もなく幸音とどう接していいか分からなかった。分からないまま幸音を放置し、流れに身を委ねた。
その結果が――、
「――これか」
壱作は荒れたままのリビングに独りで座っていた。
最初は空き巣にでも入られたのかと思ったが、
幸音が来てから綺麗に保たれていた壱作の家も、幸音が去ったことで元の状態に戻ってしまった。立つ鳥跡を濁さず、というが、ここは忠実に再現せずに綺麗なままを維持して欲しかったのが壱作の本心だ。
そうしなければ、自身の身の回りにとことん興味のない壱作は、散らかしたままで片付けることなんてしないのだから。
「創作がなかったら、俺はこんなダメな人間なんだな……」
幸音がいなくなってから早半月、壱作は創作に打ち込むのでもなく、淡々と何もない日々を過ごしていた。
もし幸音とちゃんと向き合っていたならば、壱作の運命は変わっていたのだろうか。
「……はっ」
今まで毛嫌いしていた人に依存するような思考に陥りかけて、壱作は自身を嘲笑った。
どうしてあんな小娘に心を乱されているのか、壱作は自分で自分の心理が分からなかった。
そんな時だった。ピンポン、という無機質な音が鳴り響く。
その音に壱作は目敏く反応し、胸中に芽生えた感覚の正体を掴む間もなく、すぐさまドアを開けた。
そこに立つのは――、
「……天条、創真」
壱作が望んでいた人物ではなかった。
天条創真は、奈地壱作と対を成すデザイナーだ。
独創的で誰もが憧れる作品をつくる壱作に対して、創真は普遍的で誰もが手に取りやすい作品をつくる。それゆえ、創真の名前は一般的に認知されているわけではないが、創真の作品を手にしたことがない人物はいない。それほどまでに、馴染みやすく、人々の間に生活必需品レベルで浸透している。
天条創真という人間は、壱作が名前を憶えている、唯一の人間だと言えよう。
しかし、当の創真は反応に困ったような、苦々しい笑みを浮かべていた。そして、創真は、
「……の弟子の、創次です」
否、天条創次は言った。
そう、壱作の家に訪れた人物は、すらりとした身長で三十代後半とは思えないくらいに若々しい見た目をしていた。
創真は壱作とほぼ同年代だ。なのに、創真はほとんど現役を退いて、自身が持つ技術を弟子である創次に引き継いだ。創次という名前も、創真から直接命名された名前だ。
「いつになったら、ちゃんと名前で呼んでくれるんですか」
「どうにも人の顔と名前を一致させるのは苦手でな。それに……」
壱作はジーっと創次の顔を見た。創真と創次は元々は赤の他人なのに、そうとは思えないほど顔のつくりが似ている。若かりし頃の創真を見ているかのようだ。
「壱作さん、何かありましたか?」
自分が見るということは、相手にも当然見られているということだ。加えて、創真もその弟子である創次も、人を見る目に長けている。
ただでさえ不摂生な生活を過ごしているのに、幸音に裏切られた壱作の顔は、酷く疲れているように見えただろう。
しかし、心配されたからと言って、そう易々と自身の胸の内を明かすことはしない。人付き合いに疎い壱作は、誰かに相談することを良しとしない孤高の存在だった。
「……これは、知り合いのデザイナーの話だが」
にも関わらず、壱作の唇は動き始めていた。知り合い、という前置きをしたのは、なけなしのプライドからだ。
「そいつは創作にプライドを持っていて、創作に没頭するあまり、人と関わらないように生きていた。そんな性格をしているのに、ある日、そいつの元に一人の若い人間がやって来た。その若い奴は傍若無人と呼ぶべきか、とにかく自由な奴だった。そして、しまいには近くに置いてくれ、って言ったんだ。短い中でも言っても聞かない奴だと判断した俺、の知人は、そいつの言うことを聞くことにして、そいつを近くに置いたんだ」
壱作がたどたどしく語るのを、創次は黙って聞いていた。
「最初は変な奴だと思っていたけど、半年経てば流石に慣れて来る。そいつが行なうことを、俺、の知人は黙認して受け入れるようになっていた。と言っても、そいつがやっていることは家事全般と俺の作業を見ることくらいだ。特別何か言うこともなかった。なのに、あいつは急に姿を消したんだ。しかも、ただいなくなっただけじゃなくて、部屋を荒らして、俺の作品まで盗んでいった」
幸音がいなくなってから、もう半月は経とうとしているのに、部屋の状況は何も変わっていない。部屋にいる度、壱作の脳裏に騒々しい奴がいたということが思い出されるけれど、壱作は掃除する気にはなれなかった。
――うぇっ、掃除くらいしてください。
そう苦言を漏らしながら幸音がいつか戻って来ることをどこかで期待していたからだ。
「もしも、俺がちゃんと面倒を見て言うべきことを言っていれば、あいつはまだ……」
幸音のことをただの小娘だと小さく見積もらないで真剣に向き合っていれば、壱作の状況は変わっていたのだろうか。
分からない。これまでの半生で人としっかり向き合って来なかった壱作には、分からないことだった。
「――ふふっ」
話の途中であるにも関わらず、創次は拳で口元を隠しながら肩を揺らしていた。
「何か面白いこと言ったか?」
「いえ、見事に拗らせているなぁと」
悪びれる様子もなく、少しだけ眦に涙を浮かべながら創次は言った。想定外で失礼な反応に、壱作は目を眇めて睨む。
創次は「こほん」とわざとらしく咳払いをすると、
「難しく考えすぎなんですよ、壱作さん」
まるで全てを見通しているかのような柔らかいを笑みを携えて言った。
「勿論その子のことを、ちゃんと面倒見て上げることは大事ですよ。右も左も分からないような幼子の時は、しっかりと管理してこそ成長出来るってもんです。けど、壱作さんは彼女の一番大事なところを見落としている気がします」
「一番大事なところ?」
これまで半年近く幸音と過ごしたのに分からなかったことを、人聞きである創次はどうして分かることが出来たのだろう。
壱作は縋るように創次に答えを求めた。しかし、創次はゆっくりと首を横に振る。
「しっかり考えて、しっかり向き合ってください。そうしたら、すぐに分かると思いますよ」
「……出来ると思うか?」
壱作は自信がなかった。今まで極限まで人との関わりを避けて来たのだ。それなのに、本当に今さら幸音に向き合うことが出来るというのだろうか。そもそも幸音がまた壱作の元を訪れる保証だってどこにもないのに。
「大丈夫ですよ」
けれど、そんな壱作の不安を払うように、創次は断言した。のも束の間、柔らかく口角を上げると、「って、知り合いのデザイナーに伝えておいてください」、最後に茶目っ気溢れるようにウインクをした。
この時、目の前にいる創次と過去の創真の姿が、壱作の目に重なって映った。
壱作と創真の付き合いは長い。人付き合いが苦手な壱作が完全に世に隔たりを作らなかったのは、隔てたはずの壁を易々と乗り越えて来るようなフランクな創真がいたからだろう。ライバルであり、良き隣人でもあった創真が、壱作に世の常識を説いてくれていた。
そして、今もまるで創真の生き写しのように、創次が壱作のことを叱咤激励してくれる。
「創真」
「ですから、僕の名前は――」
「昔、お前の師匠と似たようなやり取りをしたのを思い出した。お前と創真は別の人間だ。けど、もう切り離せないくらいに創真から多く学んで来たんだな」
「……急に褒めちぎらないでくださいよ」
弟子である人間にとって、もっとも名誉なことは師匠に似ていると言われることだろう。壱作の前で珍しく創次は顔を赤らめている。その姿を見て、壱作は何故か照れくささを感じた。
「俺は思ったことしか言わない。……で、お前は今日何しに来たんだ?」
話題に窮した壱作は、創次から来訪の目的を聞いていなかったことを思い出した。
「ああ、そうでした。師匠から言伝を頼まれていたのですが、もう大丈夫そうですね」
「……言伝?」
「はい。ここ最近の壱作は調子が悪そうだから、発破を掛けて来いって」
創次の言葉に、壱作は一瞬言葉を呑んだ。
幸音がいなくなって、まだ半月も経過していないのに、創真は壱作の変化を機微に感じ取った。さすが人を見る目に長けている創真というべきか。
「じゃあ、俺からもあいつに言っといてくれ」
首を傾げる創次に対して、壱作はふっと笑みを浮かべると、
「心配するな、と」
<――④へ続く>
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