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[小説]つくる理由④

つくる理由①

つくる理由②

つくる理由③

 ***

 難波幸音は、好きなことに一途だった。

 周りから見れば、自由奔放で猪突猛進、周りの顔色を気にしないような人間だった。

 幸音にはひとつの夢があった。誰もが認めるデザインをこの世に残し、それを通して、自分の生きた軌跡を残すことだ。そして、出来れば、自分の命が続く限り、何度でも何度でも残していきたい。

 幸いなことに、幸音には芸術的センスが備わっていた。幸音が絵を描けば、多くの人の関心を集めることが出来る。しかし、それで食っていけるほど甘い世界ではない、ということを幸音は誰よりも自覚していた。
 多くのコンテンツが手短く大量に消費される現代では、幸音の才能など海に埋もれてしまう。

 末永く世に残るために幸音が導き出したのは、名のあるデザイナーに教えを請うことだった。有名なデザイナーから技術もノウハウも吸収して、幸音の実力の底上げを更に行なう。それが最短距離で最効率で最善策のように思えた。

 しかし、ここで幸音の良くも悪くもある習性が露出した。
 難波幸音という人間は、一度やると決めたらとことんやり切る人間だ。妥協を赦したくはない。だから、どうせ教えを請うならば、もっとも腕のある人が良いと判断した。

 その結果――、幸音は奈地壱作という稀代のデザイナーに出逢った。

 独創的なデザインを世に生み出す壱作は、確かに誰にも真似できないプロの作家としての振る舞いを見せてくれた。幸音が共にした半年で、壱作が他の追随を赦さない所以も知ることが出来た。

 しかし、その反面、壱作は周りに一切の興味がなかった。
 どれだけ幸音が壱作のサポートをしようとも、全く関心を持たない。会話をしたとしてもどこか上の空で、肝心の創作についても何も教えることはない。恐らく幸音が壱作の近くにいたい理由も分かってはいないのではないだろうか。

 壱作のサポートを終えて家に帰る日、幸音は休むことなく自分のデザインを生み落とそうとした。けれども、どれだけ自分の脳を絞り出そうとも、壱作に追いつくことは出来ず、自分の満足の行く作品をつくることが出来なかった。

 幸音は限界を迎えていた。壱作の元へ行っても何も教えてくれることはなく、必死に壱作の作業している姿を頭に描いても、到底辿り着くことは出来ない。

 ゆえに、幸音が取った選択は、壱作の作品を手元に置くことだった。
 貸して欲しい、と願っても、きっと壱作は断わるだろう。だから、幸音は『盗む』という方法で、壱作の作品を手元に置くことにした。

「……いや、どうなんだろうな」

 幸音は壱作の自信作を見ながら、自分の考えを否定する。

 空き巣が入ったような真似をわざわざせずとも、壱作なら理由も問うことなく了承してくれそうだ。最初は怪訝な顔をするだろうけれど、幸音が願うことなら、渋々と壱作は受け入れてくれる。
 半年間一緒に過ごしてみて、壱作の不器用な優しさを目の当たりにして来た。

 だからこそ、幸音は嫌だった。

 あの歪な関係性を尚続けていたら、壱作の中で幸音は特別になれない。
 壱作の中での立ち位置を変えるためには、幸音は常識では考えられないことをする必要があった。

 きっと今回の一件で、壱作は幸音のことを考えてくれただろう。

「諸刃の剣、だなぁ」

 印象付けることが出来た一方で、幸音は壱作の前に出ることは出来なくなった。

 家を荒して盗みまでしたのだから、当然だろう。幸音が壱作に対して行なったことは罪に問われる。

 幸音はどの面を下げて壱作に会うことが出来るのか。幸音はもう壱作と直接会うことは――、

「やっと見つけたぞ」
「何で、ここが……」

 今しがた再会することを諦めていた壱作と、幸音は再会してしまった。

 幸音が作業する場所は、家の中か地元の山奥がほとんどだ。家にいて煮詰まってしまった時、幸音は広々とした場所に移動して創作に取り掛かる。今も幸音は山奥に籠って、自然を感じながら独りで作業をしていた。

 そのことを知っているのは、幸音の家族か高校時代の一部の親友もしくは先生だけだ。
 壱作がここまで辿り着くことは不可能なはずだ。いや、そもそも壱作が自分から誰かの元へ訪ねること自体、考えにくい。

 どんなことにも適応出来る自信がある幸音だったが、この時ばかりは流石に動揺した。

「……」

 普段の幸音からは想像出来ない仕草に、壱作は何を言うべきか迷いあぐねていた。

 壱作を裏切った幸音に対してあれほど感じた怒りも、自然と胸に抱かなくなっていた。そもそも壱作は本当に怒りという感情を抱いていたのかも甚だ疑問だ。

 今目の前にいる幸音は、怒られることを待つ子供のようだ。
 壱作の中で幸音という人間は、マイペースな小娘といった評価だった。壱作の作業姿を見る時の集中力に脱帽していたが、まさか幸音自身がここまで創作に自分を捧げられる人間だとは思わなかった。

 それを、

「――見抜けなかった、ってわけか」

 言葉を失う幸音を前に、壱作は自分の目の節穴具合を辟易するように言葉を吐いた。幸音はビクリと肩を撥ねらせ、「な、なにが」と恐る恐る声を上げた。

「お前もデザイナー志望だったんだな。だから、俺の元に押し込んで来たんだ。使用人なんて、面倒くさい言い訳を使って」

 創次と話した後、創作する時間を捧げて、幸音についてただ考えた。考えて考えて考えた結果、壱作が辿り着いた答えは、これだった。

 幸音が初めに言った「近くにおいてよ」という言葉も、真っ先に工房へと足を運ぼうとした行動も、すべて通じてしまう。
 そんな単純なことに気が付かなかったとは、どれほど人に関心がないのだろうかと、壱作は我ながら呆れてしまった。

 幸音の顔に、いつもの表情が少しだけ戻ると、「あはは」と渇いた笑いを漏らした。

「私は最初からそのつもりでしたよ。けど、壱作さんが私に目を向けなかったから……」

 壱作にとって反論の余地もなかった。ぐうの音も出ない、とはまさにこういうことだ。

 幸音の隣には、ここ最近の壱作の自信作が置かれていた。そして、幸音の手元にはデザインの走り書きが描かれているボードがある。
 壱作の近くにいるだけでは何も変われない、と判断した幸音は、ゆっくりじっくりと独りで模倣しながら創作することを選んだ。
 否、壱作が選ばせてしまったのだ。

 しかし、その結果は誰にとっても得にならないものとなってしまった。

 壱作は息を吐くと、

「……ほら」

 幸音に向けて手を伸ばした。伸ばされた手を見て、幸音は少しだけ切なそうな表情を浮かべた。

「分かってるよ、壱作さん。この作品は――」
「違う、そうじゃない。本当に学びたいなら、教えてやる」
「え?」

 事態を読み込めずに幸音は間の抜けた声を漏らした。

 本当に言いたいことは、ちゃんと言葉にしなければ伝わらない。

 普段人に本心を打ち明けることもない壱作は、恥ずかしさに当てられ、頭を掻いた。そして、ゆっくりと息を吐くと、

「俺の弟子になる気はあるか? もし、俺の手を掴むなら、俺はもうお前のことをただの小娘として見ることはしない。俺の唯一の弟子として、俺が今まで得た技術も知識も、全部お前に伝授する」
「……、あはは。壱作さん、どういう心変わり?」

 幸音が声を上げて笑いながら、目元を擦る。笑い過ぎて涙が流れたのか、それとも涙が流れたから笑ったのか、壱作には分からなかった。けれど、いつもの幸音が戻ったことに安堵した。

「調子のいいこと言うなら、やめてもいいんだぞ」
「わー、ごめんなさい。冗談です」

 壱作が引っ込めようとした手を、幸音は勢いよく掴んだ。

 この時、初めて壱作は幸音の目を見た。
 どうして今まであんなに近くに過ごしていたのに、この熱に気付かず、向き合うこともしなかったのだろう。
 やはり自分の目の節穴具合に辟易してしまう。

 壱作は結んだ手を解くと、家路に向かって進み出した。その後を幸音も追いかける。

「最初の仕事は、まず俺の家を片付けることだ」
「それ、いつもやってることじゃないすか」
「誰かさんが散らかしたままなんだよ」

 本来であれば、幸音の手を借りることなく、壱作自身が片付けるべきだ。しかし、元々の自堕落な性格が片付けることを邪魔していた。そして、もう一つ、もし片付けてしまえば、本当に幸音との関係性が切れてしまうような予感がしたのだ。

 人との繋がりを自ら断ち続けた壱作には珍しい感覚だった。

「……嘘でしょ。もう一か月近く前だよ?」

 もちろん本人を前にして胸の内を言うことが出来ない壱作は、赤面を隠すように、急ぎ足になった。幸音が静かに笑うのを、壱作は確かに耳にした。

 後ろについて来る幸音の足取りを耳にして、「そういえば」、と壱作は足を止めた。

 これから壱作にとって幸音は不躾で失礼で我の強い使用人ではなく、大切に育てていかなければならない弟子に変わる。このまま関心を持てない関係性を貫いてはいけなくなる。

 だから、壱作は更に一歩深まらなければならない。

「今更ながらだが、名前はなんていうんだ?」

 壱作から純粋な声音で問われた幸音は、ぽかんと口を開けると、盛大に息を漏らした。

「あは、あははっ。壱作さん、今まで私の名前、一度も呼んだことなかったもんね。私のこと、本当に興味なかったんだ」
「そうじゃない。お前に興味を持ったのに、今更聞き直すことが出来なかったんだ」

 その一言で全てを察した幸音は、にかーっと悪戯っ子のような純粋な笑みを浮かべた。

 そして、

「私の名前は、幸音。幸せな音と書いて、幸音です」

<――終わり>

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この記事を書いた人

 東京生まれ 八王子育ち
 小説を書くのも読むのも大好きな、アラサー系男子。聖書を学ぶようになったキッカケも、「聖書ってなんかカッコいい」と思ったくらい単純で純粋です。いつまでも少年のような心を持ち続けたいと思っています。

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